「STAP細胞はあります!」と自信満々に語るだけでは宗教と同じです


前回ぼくは、小保方晴子さんがSTAP細胞の存在を信じていることを高く評価しました。自分の仮説に信念を持つことは、優れた科学者の第一条件だからです。だからといって、小保方さんが優れた科学者であると認めたわけではありません。ましてや、ぼくも小保方さんのようにSTAP細胞の存在を信じているわけではありません。その逆です。彼女は科学者としては失格であると思うし、「STAP細胞なんて本当にあるんかよ」と思っています。

科学には信念と証拠がセットで必要

発表
自分の仮説に自信がない科学者なんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもの、否否、コーヒー豆がないクリープだけのコーヒーみたいなものです。

「この仮説、正しいのか間違っているのか分からないんですぅ」なんていう科学者は皆無です。そもそも、そんな程度の信念で研究機関の高いお金を使って実験を繰り返していたら、泥棒に近いです。そんな程度の信念で論文を発表していたら、査読する人に失礼です。

ですから、小保方さんが「STAP細胞はあります!」と自信満々に語ったことは高く評価したのです。しかし、あの会見でSTAP細胞が存在する証拠を全く示せなかったことは、落第点です。信念と証拠がセットになりませんと、科学として成立しません。

「これまで200回以上もSTAP細胞の作製に成功してきた」と語っても、証拠を示していません。「他にも作った人がいる」と語っても、その人の名前も明かしません。しかも論文は、剽窃(コピペ)と改ざん(切り貼り)と捏造(違う写真と差し替え)をしているのです。

証拠もない、発表の仕方はおこちゃまレベルでは、「STAP細胞はあります!」と自信満々に言われても、誰も信じません。「誰も」は言いすぎですかね。少なくとも科学に精通した人々は信じません。信念と証拠がセットになっていたって、信じてもらえないことは多々あるくらいなのです。

ガリレオをみてください。コペルニクスの地動説を信じ、自分で望遠鏡まで発明して詳細な天体観測を行い、ばっちり証拠をそろえました。それでも他の学者を説得できませんでした。結局幽閉されてしまいましたが、「それでも地球は動いている」と信念を曲げませんでした。強い信念と証拠をもってしても、時の常識を覆すことは難しいのです。

「過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」とまで言われたSTAP細胞ですから、信念もさることながら明確な証拠を提示しなくては、科学に精通する人々を説得することはできません。

「UFOは宇宙人の乗り物です!」

宇宙人
小保方さんは、今のままでは次のようなことを自信満々に語る人と変わりません。

「UFOは宇宙人の乗り物です!」
「ネッシーは実在します!」
「死後の世界はあります!」
「幽霊は存在します!」
「悪魔はいます!」
「天使もいます!」
「神さまは絶対にいらっしゃいます!」

信じることは自由です。それを誰も妨げることはできません。否、妨げてはいけません。信教の自由を保障しないようでは、近代国家とはいえません。ですから、いいんです。どんどん信じてください。

でも、科学として成立させるには、証拠が不可欠なのです。その証拠というものは、「私は宇宙人にさらわれてUFOに乗せられました」とか「ネッシーの写真はこれです」というのではダメなのです。宇宙人やUFOやネッシーを確保して、万民に見せなくては証拠にならないのです。

同様に、小保方さんが「STAP細胞はあります!」、「200回以上もSTAP細胞の作製に成功してきました!」、「他にも作った人がいます!」と自信満々に語っても、何の証拠にもなりません。「200回以上も作った」と言うよりも、1回だけでいいから小保方さん以外の第三者が作って見せれば確実な証拠になります。

そのためには、「作り方にコツがあるんです」などと秘密にしないで、詳細な「実験レシピ」をあの会見で公開し、第三者に「これで作ってみてください!」と言う方が、断然説得力がありました。「それをしないのは、なぜ?」と思ってしまいます。

「写真を差し替えたのはうっかりミスで、真正な写真はある」と言われても、もう今の時点ではネッシーやUFOの写真、あるいは心霊写真と同じように見られてしまいます。この先、過去のどんな写真を出して来られても、信じてもらえません。唯一、信じてもらえる手段は実験ノートとセットで提示することですが、それすら4~5冊レベルなのですから不可能でしょう。

ちょっと横道にそれますが、ぼくの卒研時代は実験ノートを1年間で6冊だと書いた後、「今の卒研生ってどのくらい書くんだろう」と思って検索してみましたら、びっくり仰天です

長尾教授の研究室(注:近畿大理工学部生命科学科)では、4年生の卒業研究が始まる毎年春に実験ノートの書き方を指導する。正確な日時の記入▽方法や経過の細かな記録▽消せないペンで手書きし、修正液の使用は禁止▽実験したその場で記入し、追記は不可-など取り決めは多く、学生の卒業研究でも、1週間で1冊を使い切ることもあるという。

1週間で1冊ですって。今や、ちゃんと指導している研究室では、そういうレベルなのですよ。ですから、科学に精通する人々にとっては、「世紀の大発見の実験ノートが4~5冊」と自信満々に語る姿が、漫才のように見えてしまうことをご理解いただけると思います。

自分の科学者生命が絶たれるか否かという重大な記者会見の場で、こういう証拠を示すことができなかったということは、「STAP細胞なんて本当にあるんかよ」と思わせるには十分すぎるシチュエーションなのです。

今のままでは、小保方さんのSTAP細胞仮説は宗教と同じです。信じる人にとってはそれでいいのですが、万民(特に科学に精通する人々)を信じさせることはできない状態なのです。

か弱い女性なので、同情してあげることも大切です。泣いて謝っているのだし、許してあげましょうよ。容姿も可愛らしいし、そんなにバッシングしないでよ。でも、STAP細胞の存在まで信じてあげる必要は、さらさらありません。「これが証拠です」と提示してきたときに、「どれどれ」とおもむろに検証してあげればいいのです。


「STAP細胞はあります!」と自信満々に語るだけでは宗教と同じです” へのコメントが 2 点あります

  1. なるほど、宗教的な信念で唱える事と科学的に第三者へ実証する事は、土俵や次元が異なる問題なのでしょうね。
    そこを混同したら、この騒動の本質が有耶無耶になると懸念します。
    小保方さんには、STAP細胞の制作が何度も成功したと明言したのだから、その内容を全て公開すべきだと思います。
    今の状況なら疑似科学に等しいのですから、この点に関して少しは責任を持って対応して欲しいものです。

  2. ピンバック: 笹井さんの名言、「科学は宗教ではない」 | ∂世界/∂x = 感動

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*