まだマインドコントロールっていう20世紀の遺物みたいな宗教っぽい言説を信じてるの?



紀藤正樹弁護士が「旧統一教会の信者はマインドコントロールされている」と真顔で語る姿をテレビで初めて見た時、ぼくは飲んでいた豆乳を思いっ切り吹き出してテレビを汚してしまい、妻から叱られました。

30年前ならいざしらず、21世紀の今日において、いまだに20世紀の遺物みたいなマインドコントロールなどという疑似科学を信じているなんて、びっくりしてしまいました。しかも高等教育を受けて、難しい国家資格を取得した弁護士さんが、あろうことか真顔で全国放送の情報番組(ワイドショー)において話したのです。

ところが、そのワイドショーの出演者は笑うことなく、同じように真顔で受け答えしているのです。もう、驚きを通り越して、これは超高級なお笑い番組かと思ってしまいました。それともドッキリ番組にぼくが引っ掛けられているのかと感じ、思わず隠しカメラを探し回ってしまいました。

その後の世の動向を見ていると、実に多くの人がマインドコントロールというものを疑いもなく信じていることが分かりました。いつの間に日本国民はマインドコントロール真理教(以下、マイコン真理教)という宗教にむしばまれてしまったのでしょうか。

ぼくはこれまで、正体隠しの疑似科学について注意喚起してきました。

【参考】
正体隠しの疑似科学への処方箋は「疑って、考えて、納得して、信じる」。
“水商売”関連
「地球温暖化」関連
「百匹目の猿」の嘘八百
相関関係と因果関係の違いも分からない大人たち
などなど。

そんなぼくとしては、現代におけるマイコン真理教の台頭を目の当たりにして、言いしれぬ虚脱感に襲われました。しかし、ここで諦めてはいけません。科学の権威を守るために、ぼくは立ち上がります!

反証可能性こそ科学の本質

ある仮説の確からしさを示す作業や証拠を「確証」といいます。反対に仮説を否定する作業や証拠を「反証」といいます。

仮説をどんどん確証すること、つまり仮説の確からしさを増やしていくことで、その仮説は科学的だと判断できると思いがちですが、それは間違いです。

科学の世界では、ある仮説が科学的か否かを判断する基準を、反証可能性としています。「反証可能性がある仮説は、科学的である」、「反証可能性がない仮説は、非科学的である」というわけです。反証可能性こそ科学の本質です。

分かりにくいと思うので、例を挙げます。

占い師によって「このお守りを身に着けていれば1カ月間は金運がアップする」という仮説が提示されたとします。そのお守りを身に着けていたA氏は、1カ月間で投資していた株の価格が上がり、利益を得ました。A氏は「お守りの効果があった(仮説が確証された)」と喜びます。

一方、同じく株式投資をしているB氏さんもそのお守りを1カ月間身に着けましたが、普段以上の利益を得ることはできませんでした。B氏はお守りを売った占い師に抗議しました。そこで占い師はこう答えるのです。

「もしあなたがお守りを身に着けていなければ、あなたが持っている株が暴落し、大損していました。お守りを身に着けていたので、その難を逃れることができたのです。つまり、金運は確実にアップした(仮説が確証された)のです!」

占い、霊能力、宗教の教義などが科学的ではないとされている理由は、このように確証だけを根拠にしているからです。いかに占いや霊のお告げや教祖さまの予言が外れようとも、いろいろな説明をほどこして、外れたことさえも確証にしてしまうのです。つまり反証が一切できない仮説、反証可能性がない仮説なのです。

ところが科学の理論は、反証されたら即座に否定される可能性を常に持っています。例えば、ニュートン力学から導かれる「2035年9月2日午前10時3分45秒~5分57秒の2分12秒間、長野で皆既日食が起きる」という仮説は、その日その時刻に観測すれば、有無を言わさず即座に反証される可能性を持っているので科学的なのです。

反証可能性は、裏を返せば再現性です。誰もが同じ方法で確証作業を行うことができ、同じ結果が再現できた時、その仮説の確からしさが増していくのです。自分だけが「確証できた!」と言っても、他の人が再現できなくては科学にはならないのです。

マインドコントロールは科学ではない

日本におけるマインドコントロール研究の第一人者といわれているのが、西田公昭氏です。彼の著書『マインドコントロールとは何か』(初版1995年7月31日)は、マイコン真理教のバイブル的な存在です。

もちろん、科学の権威を守るぼくとしては、疑似科学の言説も勉強しなくてはならないため、この本も初版の時に買って読んでいます。読んだ当時は「ふふふん」と鼻で笑って、「こんな仮説、すぐ消えるだろう」と思っていました。ところが、それから約30年たって、マイコン真理教は旧統一教会以上に布教活動に成功したようですね。恐ろしいことです。

この本を読んでもらえば一目瞭然なのですが、反証可能性は全くありません。ですから、マインドコントロールという仮説は科学ではありません。非科学、にせ科学、疑似科学と呼ばれるものになります。

宗教と言うのは言い過ぎかもしれませんが、「マインドコントロールされている人を救わなければならない!」と正義感・使命感・救済感など抱いて盲目的に信じている人が多いという点では宗教にも似ています。さらに米本和広氏の取材が事実で、かように信じる人々が旧統一教会信者を拉致・監禁・レイプまでしているとなると、それこそカルト宗教にも近いといえます。

西田氏が説くマインドコントロールとは、おおむね次の通りです。

人間の意思決定は、ボトムアップ情報とトップダウン情報を利用しているとします。ボトムアップ情報とは、五感を通じて得られる情報だと述べています。トップダウン情報とは記憶構造の中に貯蔵してある情報で、知識や信念を指し、ビリーフと呼んでいます。

このうち、ボトムアップ情報を操作することを「一時的マインドコントロール」と呼び、トップダウン情報とボトムアップ情報の両方を操作することを「永続的マインドコントロール」と呼んでいます。カルト団体(西田氏は破壊的カルトと呼んでいる)は永続的マインドコントロールを行っているのだそうです。

この仮説を基に『マインドコントロールとは何か』では、諸外国の研究の紹介やら、西田氏の考えが、るる述べられています。しかし、この仮説をどうやって確証したのか、全く書かれていません。要は、自分の頭の中の考えを文字にしたに過ぎず、何の確証作業もしていないのです。

仮説をどうやって確証したのかということが述べられていれば、他の科学者たちが同じ方法を試すことができます。その結果、多くの科学者から同様に確証が得られていけば(再現できれば)、マインドコントロール仮説の確からしさが増していきます。そうやって科学理論は構築されていくのです。

しかし、もし他の科学者が同じ方法で試した結果、仮説の反証を得てしまえば、間違いを潔く認め、もう一度仮説を立て直さねばなりません。それが科学的な姿勢です。

ところが西田氏のマインドコントロール仮説では、自分が考えた理屈だけは述べられていますが、確証した方法は一切述べていないのですから、当然反証もできません。つまり反証可能性がないのです。したがって、マインドコントロールという考え方は科学ではないのです。

「マインドコントロールはあります!」

それでは、西田氏は具体的にどのような確証作業をしなければならなかったのでしょうか。当然、被験者にマインドコントロールを掛けることです。薬の臨床試験と一緒です。その薬が病気に効くのか効かないのか調べなくてはならないように、マインドコントロールが本当に掛かるのか掛からないのか調べなくて、どうしてマイコン真理教が科学たり得るというのでしょうか。当たり前の話です。

「でも、薬は健康にするためのものだから試験してもいいが、マインドコントロールは本当に掛かったら危険じゃないのか」という指摘もあろうと思います。それはもっともです。しかし、仮説を確かめない限り、科学にならないことは既に説明したとおりです。科学ならば、被験者が被る危険性を最小限にする試験方法を考えて実施するのです。薬だって、本当に安全かどうか分からない段階で試験するのですからね。医学界の臨床試験について学べば、マインドコントロールを確証する方法はいくらでも見つかるはずです。

「仮に実験できたとしても、全ての人がマインドコントロールに掛かるわけでもないだろう」という指摘も、もっともです。だったら、例えば「こういう生活環境で育った人が、何%の確率でマインドコントロールに掛かる」という仮説を立て、その仮説を確証した手段を示せば(反証可能性を示せば)いいのです。そうすれば誰もが再現試験を実施できるのですから、十分科学的です。

西田氏のマインドコントロール仮説は、「STAP細胞はあります!」と言った小保方さんの仮説と同じです

【参考】
「STAP細胞はあります!」と自信満々に語るだけでは宗教と同じです

信念を持って自説を研究することは高く評価できますが、反証可能性(再現性)がなければ科学とはなりません。この仮説は「マインドコントロールはあります!」と言っているだけで、反証可能性ゼロの非科学です。しかも、小保方みたいにかわいくないおじさんが言っているので、マイコン真理教の信者さん以外は、ほぼドン引きの仮説なのです。

疑似科学の得意技、チェリーピッキング

ぼくは別に科学でなければ全部駄目だと言っているわけではありません。科学と対局の立場にある宗教も尊重します。どのようなことを信じるのも本人の自由です。

宗教は、宗教という看板をしっかり掲げているので、全然憎らしくありません。旧統一教会だろうが、エホバの証人だろうが、創価学会だろうが、天理教だろうが、立正佼成会だろうが、生長の家だろうが、宗教団体なのだから、そこの信者さんがその教えを信じて全く問題はありません。

ところが疑似科学は、科学ではないのにもかかわらず、正体を隠して人々に「科学だ」と信じ込ませるのです。科学を愛してやまないぼくは、このような疑似科学を心の底から憎んでいます。

西田氏の『マインドコントロールとは』では、科学的に見せるためにデータを出しています。カルト団体の元メンバー272人に対して全国的に行ったアンケート調査の結果というものです。その結論として、マインドコントロールを解くのに必要な期間(後遺症が続く期間)を以下のように述べています。(引用は青字)

大まかな長さは、破壊的カルトの中で生活していた期間と同じくらいの期間が平均であるようだ。

そうすると、生まれながらマインドコントロールに掛けられている二世信者が20歳の場合、40歳まで完全には解けないのですね。こりゃあ、大変だ。ちなみに今話題の旧統一教会の田中会長は、

田中富広会長の経歴や学歴や大学は?
1956年生まれの田中富広さんは、20歳のときに統一教会に入っています。

とのことなので、現在66歳、信者歴は46年だから、今脱会してもマインドコントロールが解けるのは112歳ですね。こりゃあ、大変だ。後遺症で苦しむより、ずっと信者さんでいたほうがいいんじゃないでしょうか。

と、まあ、冗談はともかく、西田氏のこの調査方法は、統計学でいう「チェリーピッキング」という行為です。自説に都合のいいデータだけを集める、疑似科学特有の手法です。

カルト団体の元メンバー(マインドコントロールから抜け出たと仮定した群)だけを調べたって意味がありません。だって、そのメンバーたちが、かつてマインドコントロールに掛かっていたのかどうか分からないのですから。「いや、カルト団体にいたじゃないか」というのはアホウです。そもそもマインドコントロールがあるのかないのかを先に証明しないといけないのです。「カルト団体にいたからマインドコントロールに掛かっていたはずだ」というのは、まだ仮定に過ぎません。だから、自説に都合のいいデータ集めだというのです。

マインドコントロールがあることを確証するには、まだマインドコントロールに掛かっていないと仮定した群、現在マインドコントロールに掛かっていると仮定した群、マインドコントロールから抜け出たと仮定した群、この3つのグループからチェリーピッキングでなく無作為に調査対象を抽出します。そして分析した結果、マインドコントロール仮説の「統計的有意性」を検討することが必要となります。

その結果、マインドコントロール仮説に「有意差」が認められれば、科学たりうるかという議論の俎上に載せることができます。有意差が認められたからと言って科学にはなりませんが、有意差が認められなければ科学かどうかの議論すらできません。そもそも統計的有意性を検討していない時点で、もう科学ではありません。門前払いです。お引き取りくださいって感じです。

このブログで統計的有意性や有意差の説明をすると長くなるので、ここではしません。あしからず。統計学自体が一般の方には分かりづらい分野なので、数式を使わずに説明するのも大変です。下記サイトが比較的分かりやすいと思います。

【参考】
Q1 「統計学的に有意」とは何を意味しているのですか?

裁判所も却下する疑似科学

西田氏のマインドコントロール仮説は、科学界はもとより、裁判所ですら認めていません。

オウム真理教事件の全死刑囚13人の死刑執行
オウム真理教の裁判では、「マインドコントロール」論が交わされた。社会心理学者の西田公昭・立正大学教授は、弁護側証人や鑑定人を担った井上嘉浩や横山真人など幹部や信者11人について「全員がマインドコントロール現象にあった」と振り返る。マインドコントロールとは、西田教授によれば「当人が気が付かないうちに他者がその精神課程や行動を操作し、組織の目標成就のために活動させる手法」である。西田教授は公判で弁護側証人として「マインドコントロール下では犯行を回避するのは非常に困難」と社会心理学者としての見地から証言したが、司法判断には影響を与えられず、信者らは責任能力を問われた。

西田氏は、一生懸命にオウム真理教のテロ犯たちを死刑にしまいと、自説のマインドコントロール仮説を法廷で説明したのですが、裁判所は却下したのです。まあ、裁判所が非科学的な言説に影響されて判決を下したら大変ですけどね。さすが、高等教育を受けて、難しい国家資格を取得した裁判官さんです。

あれ? 裁判官と弁護士って、同じ司法試験合格者ですよね。でも、弁護士さんでマイコン真理教を信じている人もいますね。

むろん、司法試験の合格者が非科学的なことを信じることは自由です。誰にでも信教の自由はありますから。しかし、人や団体の将来を左右する判断や、影響力のあるメディアでの発言については、自らが信ずる教義(非科学的な言説)を基にするのではなく、ぜひ客観的な科学をベースにしていただきたいものです。

【関連】
カテゴリー『安倍元首相暗殺


“まだマインドコントロールっていう20世紀の遺物みたいな宗教っぽい言説を信じてるの?” への8件の返信

  1. なるほど。そうだったのですか。
    マインドコントロールって、変にはまる単語ですよね。
    自分の言うことを聞かない人に向かって、〇〇〇されて
    いるって、簡単に言っちゃいますね。
    でも、疑似科学だったとはねえ。

    自分は日教組による自虐史観を植え付けられ、日本は
    悪い国だと思うように「マインドコントロールされてきた」
    と思っていましたが、違うのですね。あ、こりゃ。

    • コメントありがとうございます。
      そうなんです。まあ、冗談で使う分には害はないのですが、他人を差別したり攻撃したりすると駄目ですよね。
      血液型性格判断みたいなものです。「私はAB型だから変人なの」と仲間内でおかしく話す分にはいいですが、「君はAB型だからわが社では採用できません」とやったらNGです。
      マインドコントロールってそれと同じレベルの言説です。

  2. 私は西田氏の著書を読んでいないので深い議論はできませんが、拝志朗さん自らマインドコントロール論の反証可能性を示してませんか?

    > マインドコントロールがあることを確証するには、まだマインドコントロールに掛かっていないと仮定した群、現在マインドコントロールに掛かっていると仮定した群、マインドコントロールから抜け出たと仮定した群、この3つのグループからチェリーピッキングでなく無作為に調査対象を抽出します。そして分析した結果、マインドコントロール仮説の「統計的有意性」を検討することが必要となります。

    上記の手法で統計的有意性を示せるのであれば、非劣性試験を行うことでマインドコントロールの効果を反証可能です。つまり反証主義的見地から言えばマインドコントロール論は十分科学的であると言えます。(仮説に信頼性があるかは別として。)

    マインドコントロール論自体は現状確かに眉唾ものです。また、科学的な検証しようにも高いハードルがあります。
    被験者にマインドコントロールを掛ける実験には倫理的な問題があり、上記の無作為抽出による検証には他ならぬマインドコントロールの疑いがある集団の協力を得ないとできないのですから。

    しかし、「なぜカルトにのめり込む人がいるのか?」まだ解明されていないことにルールを探す営みこそが科学の本質です。それを安易に疑似科学だと切って捨てることこそ科学的ではありません。

    • はい。私が示したようにすれば、科学たりうるかという議論の俎上に載せることができます。そう書いています。しかし西田氏はやっていないのですから、彼の仮説は反証可能性がありません。

      >科学的な検証しようにも高いハードルがあります。

      そのハードルを越えてこそ、科学たりうるかという議論の俎上に載せることができます。「アンドロメダ星雲に、タコみたいな形をして、フランス語に似た言語を話す知的生命体が存在する」という仮説も、科学的な検証しようにも高いハードルがあります。同じことです。

      >なぜカルトにのめり込む人がいるのか?

      まず、カルトとは何ぞやという科学的な説明が必要になります。

      >まだ解明されていないことにルールを探す営みこそが科学の本質です。

      いえ。宗教でも、陰謀論でも、トンデモ科学でも、「解明されていないことにルールを探す営み」は行われております。反証可能性がなければ、その営みは科学ではありません。

      • 反証可能性の意味理解してます?

        > ところが西田氏のマインドコントロール仮説では、自分が考えた理屈だけは述べられていますが、確証した方法は一切述べていないのですから、当然反証もできません。つまり反証可能性がないのです。

        こちらの一文が明確に誤りです。現にあなた自身が仮説の反証方法を示しているように、仮説だけで反証可能かどうかは議論できます。
        そしてあなたの反証主義という立場からすれば、反証方法を示せた時点でマインドコントロール論は科学だと言えるはずです。

        > そのハードルを越えてこそ、科学たりうるかという議論の俎上に載せることができます。

        記事中でもそうですが、主張がコロコロ変わりますね。
        反証可能性がある⇒科学
        という命題はどこに行ったんですか?
        アンドロメダ星雲云々の仮説も反証主義の観点では科学ですよ。そこに生息する生物とフランス語で意思疎通できるならば反証となります。

        > カルトとは何ぞや
        ここで議論する気はないので、「なぜ統一教会にのめり込む人がいるのか」と読み替えてください。

        > 反証可能性がなければ、その営みは科学ではありません。
        科学⇒反証可能性がある
        は否定してませんので誤解なきようお願いいたします。

        • 記事の中で「反証可能性は、裏を返せば再現性です」と書きました。再現性は、証明責任(立証責任)を伴います。反証可能性のみが科学の条件ではなく、反証可能性と論理的に連動するいくつもの条件があるのです。記事では、そこまで詳しく書かなかっただけです。

          西田氏は、まず自らがマインドコントロールを立証してみせなくてはならないのです。そこで初めて、他の人が再現可能かどうかテストできます。いくら机上の空論を並べて「ほら、反証可能だろう」と言っても、その反証可能性自体が机上の空論なのです。

          自分の仮説を自分で「立証したぞ!」と宣言していないうちは、反証可能性はないのです。それ以前の話なのです。「門前払いです。お引き取りくださいって感じです」と書いたとおりです。

          • >この 反証可能性のみが科学の条件ではなく、反証可能性と論理的に連動するいくつもの条件があるのです。
            暗にマインドコントロール論に反証可能性があること自体は認めていただけたようで幸いです。

            > 自分の仮説を自分で「立証したぞ!」と宣言していないうちは、反証可能性はない
            そんなルールはありません。

            “科学⇒証明責任を果たす”
            こちらに関しては私も同意です。だからこそマインドコントロール論は現時点で眉唾と書きました。
            しかし拝志朗さんは反証主義に拘るあまり、証明責任を果たすことが科学の必要条件ではない旨を記事で書いていますよね。

            > 仮説をどんどん確証すること、つまり仮説の確からしさを増やしていくことで、その仮説は科学的だと判断できると思いがちですが、それは間違いです。

            上記は証明責任を科学の要件に含める立場であればあり得ない発言です。主張がコロコロ変わっていると評した理由の1つです。

            ここまでで、反証可能性と証明責任はそれぞれ科学の要件ではありつつも全く別軸の話だということはご理解いただけるかと思います。
            反証可能性は裏を返しても再現性や証明責任にはなり得ないのです。
            「記事では、そこまで詳しく書かなかった」ではなく、そもそも反証可能性を論点にしたこと自体が無駄であり誤りであったと分析するのが正しいかと。
            他人の論を科学的でないと批評してる記事の割には内容が科学的かどうか以前に論理的でないなというのが率直な印象です。

            余談ですが私は科学哲学において反証主義者ではないので、マインドコントロール論が反証可能かどうかに拘りはありませんでした。
            しかし「家庭連合一世おじさん信者」というyoutuberがこちらのブログを参考にする許可を取って動画投稿しており、その中で「マインドコントロール仮説に反証可能性があると主張できる者はいない」と豪語しておりましたので、反証主義の観点で反論した次第です。
            コメント冒頭の通り、他でもない拝志朗さんから反証可能性があることの言質は取れたとの判断で目的は達成しました。ご協力ありがとうございました。

            • 私の話は矛盾していないです。ポテトさんの読解力の限界ですね。
              これ以上議論しても疲れるだけなので、これでおしまいにします。
              コメント、ありがとうございました。

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