「百匹目の猿」の嘘八百


猿と温泉
「何でもかんでも科学的に考えなければ、幸せになれない」ということはありません。明らかに科学的ではないものでも、信仰として真摯に受け止め、それを心の糧として生活すれば、幸せになることもあります。

しかし、明らかに科学的ではないものを、科学的であると権威付けて人々に広める・・・すなわち疑似科学については、ぼくは断固反対です。

「百匹目の猿」という話は後者です。悲しいことに「百匹目の猿現象発祥の地」と刻印された記念碑まで建立されています。日本の科学教育の失敗を世界中に知らしめる「日本の恥の記念碑」です。猿の生息地として知られる幸島(こうじま)と向かい合う宮崎県串間市の海岸砂浜にあり、次のような詩が碑文とされています。

「百匹目のお猿さん」
作詩 船井幸雄

南の島のおサルさん
イモコちゃんにリードされ
芋を洗って喰べ出した

多くのサルさんまね出した
お芋の泥が水で落ち
楽しくおいしく喰べられる

この行動が拡がった
遠く離れたサルたちも
お芋を洗って喰べ出した

これが「百匹目の猿現象」
ワトソンさんが命名し
シェルドレイクさんが証明す
(後略)

上記の碑文の中に、「百匹目の猿」の話が見事に凝縮されています。作詩した船井幸雄氏には、「その方面」の才能があることは良く分かります。

「百匹目の猿」は、碑文に登場するワトソンという人が1979年に著書『生命潮流』 で紹介した話です。少し長くなりますが、下記に引用します。

真偽のほどを決しかねた人びとも物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている。したがって私としてはやむなく、詳細を即興で創作することにしたわけだが、わかる範囲で言えば次のようなことが起こったらしい。

その年の秋までには幸島のサルのうち数は不明だが何匹か、あるいは何十匹かが海でサツマイモを洗うようになっていた。なぜ海で洗うようになったのかと言うと、イモ(京橋注:最初にサツマイモを流水で洗って食べた18ヶ月のメス猿、船井氏の詩に出てくるイモコちゃん)がさらに発見を重ねて、塩水で洗うと食物がきれいになるばかりかおもしろい新しい味がすることを知ったからである。

話を進める都合上便宜的に、サツマイモを洗うようになっていたサルの数は99匹だったとし、時は火曜日の午前11時であったとしよう。いつものように仲間にもう1匹の改宗者が加わった。だが百匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超え、一種の臨界質量を通過したらしい。というのも、その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。

そればかりかこの習性は自然障壁さえも飛び越して、実験室にあった密閉容器の中のグリセリン結晶のように、他の島じまのコロニーや本州の高崎山にいた群の間にも自然発生するようになった。(『生命潮流』P208~209)

よく読めば明らかなように、「百匹目の猿」という話はワトソンの「創作」なのです。自身で「創作」と明記しています。彼は「創作せざるを得ない理由」として、研究者が「物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている」からだと言っています。しかし、それじゃあ、三流週刊誌と同じです。とても科学的とは言えません。

それなのにワトソンの『生命潮流』が科学的だと考えられた理由は、自説の根拠としている文献を全て巻末に掲載している点です。形式としては、学術論文と同じ手法をとっています。「これだけ詳細に文献を紹介しているのだから、書いてあることには裏付けがあるのだろう」と読者に思わせるのが狙いだったのでしょう。

しかし、その狙いは墓穴を掘りました。紹介された文献を実際に調べると、やはり彼の説は「まことの創作」だと証明されるからです。

「百匹目の猿」の出典として上げられているものは、幸島のニホンザルの行動について書かれた河合雅雄氏の論文「On the newly-acquired pre-cultural behavior of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Islet.」です。これは論文誌「Primates」に掲載されたもので、ぼくも出版社のSpringer からこの論文のPDF版を購入したことがあります(今も販売しているかは不明)。

この論文の主旨は下記の通り。

・ 幸島の猿を1949年(20匹)から1962年(59匹)まで観察。

・ 1958年まで、サツマイモ洗いは年1~4匹の年少の猿が習得したが、成人した猿11匹のうち習得したのは2匹。いずれも母猿で、サツマイモ洗いをする子猿をまねたものと考えられる。

・ 1959年からは、サツマイモ洗いをする猿たちが成人し、子どもを生むようになった。それ以後は、母から子へとサツマイモ洗いが伝わるようになった。

ワトソンが言うように「数が明らかに何らかの閾値(百匹)を超え、一種の臨界質量を通過した」ことで、「コロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていた」などということは、河合論文のどこにも書かれていません。

ましてや、幸島から離れた高崎山でもサツマイモ洗いが伝播したなどという記述は、皆無です。

まあ、「論文に書かれていない」と指摘されると困るので、「物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている」と書いているのでしょうが、だったら文献として紹介された河合論文は何の根拠にもなりません。『生命潮流』を学術書のように装う手段として、巻末に関係のない文献をずらっと並べたとしか思えません。

先に『生命潮流』から引用した部分の最後に、「実験室にあった密閉容器の中のグリセリン結晶のように」という一文があります。「百匹目の猿」の話の前に、グリセリン結晶の話があるのです。これも引用してみます。

250年前に天然脂肪からグリセリンが抽出され、無色で甘味のある油性の液体ができた。そして医療用潤滑油として、さらには爆発物の製造用に使用された。結晶化を起す通常の手だてである超冷却、再加熱、その他あらゆることをしてもグリセリンは頑として液状のままで、とうとう固体のグリセリンはないのだと思われるようになった。

ところが今世紀初頭、ウィーンの工場からロンドンの得意先に運ばれる途中の一樽のグリセリンにおかしなことが起こった。「まったくの偶然だが、その間に起こった種々の動きのまれにみる組み合わせにより・・・」結晶化が起こったのだ。

ロンドンの得意先はまっ蒼になっただろうが、化学者たちは大喜び。その樽のグリセリンを少しずつ頂戴しては自前の試料作りにかかったが、それらは摂氏18度で同じように固体になった。いち早くこれを試した科学者のなかでもふたりの人物が熱力学に関心を抱いていて、以下のことを発見するに至った。

ふたりが最初の結晶を郵便で受け取り、あるひとつのグリセリン試料を使った実験で結晶化に成功すると間もなく、実験室にあった他のすべてのグリセリンが自然発生的に結晶化し始めたのである。なかには密閉容器に入っていたものすらあったという。(中略)

新たな精神構造のなせるわざとも言える。物理的な種子があるとグリセリンは結晶化する。だが、この過程が容易に起こるようになった理由の一部に、もうひとつ、新たな姿勢というか、ものの見方が関与しているように思われる。一種の精神の種子だ。(『生命潮流』P59~60)

要は、科学者がどうやってもグリセリンを結晶化できなかったのに、「グリセリンは結晶になるのだ」という「人々の精神構造」が変わったら、あらゆる場所で結晶化が起きるようになった、というわけです。

この話にもちゃんと出典論文が紹介されています。カリフォルニア大学のGibson氏とGiauque氏が書いた「The third law of thermodynamics.」です。ワトソンが「ふたりの科学者」と書いているのは彼らのことです。この論文に書かれているグリセリン結晶化の話の趣旨は下記の通りです。

・ グリセリンを結晶化するには温度コントロールの仕方にコツがある。われわれはそのコツを発見した。

・ コツを発見する前に結晶を注文していたので、そちらの結晶の入手のほうが時間的には先になった。

結晶の入手が先で、自分たちの「コツの発見が後」になったことについて彼らは、「After the seed crystals had arrived it was found」という表現をしています。過去完了形ということを考慮すると(ぼくは英語が得意ではありませんが)、「結晶が届いた後で、コツを発見しちゃったんだよねえ、悔しい~」という感じだと思います。

いずれにせよ、ワトソンが言うように、「ふたりが最初の結晶を郵便で受け取り、あるひとつのグリセリン試料を使った実験で結晶化に成功すると間もなく、実験室にあった他のすべてのグリセリンが自然発生的に結晶化した」などということは、論文に一切書かれていません。むしろ「きちんと人為的に温度制御しないと結晶化しない」と書かれているのです。

たとえはあまりよくありませんが、嘘つきって結構すぐばれる嘘をつくものです。『生命潮流』という本は、一見すると出典論文が詳細に紹介された学術書のように見えてしまいますが、その出典論文を丹念に調べてみると「文献を勝手に曲解している」ことが分かります。こういう本には注意したいものです。

「シェルドレイク仮説(形態形成場仮説)」を根拠に、いかにも科学的だというように書く人もいますが、これも疑似科学です。シェルドレイクとは、ワトソンと共に「百匹目の猿」記念碑文に登場する人物。

シェルドレイク仮説(形態形成場仮説)とは、時間的・空間的に離れたところで起きたことが「形態形成場」というものを通して伝播していくというもの。今まで起きなかった現象が突然生じ、それが時空を超えて伝わっていくということです。「百匹目の猿」と同じ構図です。

シェルドレイクは、ワトソンよりも学術的に(科学っぽく)本を記しています。ですから、船井幸雄・作詩の碑文も「シェルドレイクさんが証明す」と謳い上げているのです。

シェルドレイクの著書『生命のニューサイエンス』にも、ワトソンのグリセリン結晶化と同じような話が書かれています。全文を引用すると長くなるので、要約すれば次の通り。

ある工場でエチレンジアミン酒石酸塩という結晶を作り始めた。1年後、結晶の品質が悪くなった。調べてみると、水の分子が1つ入った別の結晶ができていたことが分かった。ところがこの事件以後、それはいたるところに現れたのである。

以上が要約ですが、下線の部分のみ、正確に引用しました。正確といっても、日本語訳の本からの引用です。

実は『生命のニューサイエンス』に書かれたこの話には、ネタ元があります。『結晶の科学―物性の神秘をさぐる』という本です。やはり原書は英語で『Crystals and Crystal Growing』というもの。高校生レベルの読者を対象に、結晶の科学を解説した名著です。

シェルドレイクは、ネタ元の『結晶の科学』から正確に引用しています。その点は、「嘘つきワトソン」とは雲泥の差。しかし、引用箇所を読んでいただけば分かるように、『結晶の科学』で言っている意味は、「今までできなかった結晶が1年後にできたので、調べてみたらこうでしたよ」と書いているだけ。

シェルドレイクは、それを自説(形態形成場仮説)の都合に良いように、恣意的に解釈しているのです。日本語訳の本になると、さらに作為的です。

『結晶の科学』(英語原文)…After that they seemed to be everywhere.
『結晶の科学』(日本語訳)…その後それらはどんなところにもあるように思われた。
『生命のニューサイエンス』(日本語訳)…ところがこの事件以後、それはいたるところに現れたのである。

「この事件」と付け加えたり、「いたるところに現れた」と訳したり、原文の趣旨からかなり逸脱しています。訳者が「正確に引用したら、形態形成場仮説の根拠にならないじゃん」と思って、このように「創作」したのでしょう。

ちなみに、『結晶の科学』を詳細に勉強すれば分かることですが、今まで結晶にならなかったものが突然結晶化するような現象は、多く起きています。その理由は、結晶化という現象が単純な要因によるものではなく、さまざまなバリエーションがあるためです。

結晶化する要因の1つに「種結晶」というものがあります。例えば、チオ硫酸ナトリウムを溶かし、ゆっくり冷やします。温度が下がれば結晶化するはずですが、実際にはそうはなりません。しかし、その冷えた溶液に、ひとかけらのチオ硫酸ナトリウム(種結晶)を入れると、溶液全体が一瞬に結晶化します。

エチレンジアミン酒石酸塩から一水和物ができたのも、このような種結晶によるものだと『結晶の科学』では述べられています。シェルドレイクは、そのような原論文の主張を無視し、原論文を自説への誘導材料として使っています。ですから、科学界から徹底的に批判されました。

ところが「シェルドレイク教の信者たち」は、いまだに「近代科学の機械論的世界観を根底から否定する理論なので、科学界から迫害されているのだ」と述べています。信仰というものは、時に事実から目を背けさせ、道を誤らせるものですね。ご注意ください。

確かに、シェルドレイク仮説が正しいのであれば、「百匹目の猿」と言われる現象は起きるかもしれませんね。ぼくは、そういう現象は起きると思います。しかし、そう思う理由は、シェルドレイク仮説が正しいからだというわけではありません。ぼくの「直感」です。

「一点突破、全面展開」ということは、日常生活でも体験します。何かを努力し、その努力がある限界を越えたときに、大きく展開していくことは何度か体験しています。たぶん、こういうことは多くの人が体験しているので、「百匹目の猿」のような話が広まるのでしょう。

たとえ話としては面白いし、創作したワトソンさんには「その方面」の才能があると思います。しかし、創作は創作として発表してください。「猿の惑星」みたいに、小説にすれば良かったのに。そうすれば何度も映画化されてガッポリ稼いだかもしれませんよ。

創作されたエンターテインメントならば、ぼくも批判しません。しかるに、科学的な装いを施し、「これは科学者が認めている話なのだ」と権威付けをして人々を騙すことは、断固反対です。ワトソンさん、人々の「科学に対する信頼」を裏切らないでください。

シェルドレイクさんも船井幸雄さんも、しかりです。

科学的ではなくても、幸せになる手段はあるのです。自説を信じ込ませる手段に「科学的な装い」を用いることだけはやめてください。


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