霊が写真に写らないわけを科学する


写真機とは、被写体から飛んでくる光を感光面で結像し、記録する機械です。旧来のカメラは感光させる媒体がフィルム、最近のデジタルカメラはCCDを感光させます。

フィルムには、ハロゲン化銀漢字(表記では銀塩)という粒子がたくさん塗ってあります。光が当たったハロゲン化銀粒子と、光が当たらなかった粒子とでは、現像をする時の化学反応が違ってきます。この仕組みを利用して画像を作るのです。ですから旧来の写真は、「銀塩写真」と呼ばれています。黒い銀粒子の濃淡で作るのが白黒写真で、それに色素を加えたのがカラー写真です。

デジタルカメラは、フィルムの代わりにCCDを用います。CCDは、フォトダイオードという半導体で作られています。フォトダイオードは、「シリコン、ゲルマニウム、インジウム、ガリウム、ヒ素、硫化鉛」を材料に作られており、光の粒子から電子をチャージする特性をもっています。入ってきた光の量に応じて、チャージされる電子の量も変化するので、それを利用して濃淡を作ります。

このように、フィルムカメラとデジタルカメラは違うメカニズムで映像を記録していますが、共通しているのは光に反応するという点です。したがって、霊そのものが「被写体」となって写真に写るという場合は、霊から必ず光が飛んでこなければならないのです。

光とは電磁波、つまり「波動」です。波動には「波長」という特性がありますので、ひとくちに電磁波と言っても、さまざまな種類があります。その電磁波の中で、人間の目が認識できるもの(これを可視光線といいます)は、ごく狭い範囲です。

例えば、紫外線とか赤外線という名称をご存じかと思います。紫外線とは、波長が短い「青の可視光線」よりも、さらに波長が短い電磁波です。赤外線とは、波長が長い「赤の可視光線」よりも、さらに波長が長い電磁波です。人間が認識できる波長の外側にあるので、紫外線や赤外線は見えません。

つまり、霊から飛んでくる電磁波の波長が、紫外線や赤外線のように可視光線の範囲外であるならば、「撮影したときには肉眼で見えなかったのに、写真になったら写っていた」という心霊写真の特徴にマッチします。霊界を科学的に研究している人々が書いた本にも、「霊は可視光線外の波長の光を放っているので、目には見えないが写真には写る」という記述が見受けられます。

しかしこの仮説は、もっとも基本的な事柄を忘れているのです。一般のカメラでは可視光線しか写らないということです。紫外線を写す紫外線カメラ、赤外線を写す赤外線カメラというものもありますが、心霊写真と呼ばれるものは一般のカメラで撮影されたものです。また、紫外線カメラや赤外線カメラで心霊写真が写ったという報告も聞きません。

一般の写真で用いられているフィルムやCCDは、赤・青・緑の可視光線に反応する感光剤、もしくは受光素子によって構成され、それがカラー映像を作り出しています。つまり可視光線にしか反応しないように、もともと設計されているのです。それはそうです。X線まで反応するように設計されていたら、美女を撮影してもガイコツの写真になってしまいます。(^_^;

つまり、もし霊が写真に写っているなら、可視光線の波長領域で光っているということです。とすると、写真を撮影しているときには、基本的には必ず肉眼でも見えていなければならないのです。

基本的にはと強調したわけは、例外もあるからです。それは、光の量が極めて少ない場合です。この場合は肉眼でも見えませんが、可視光線自体は飛んできています。例えば、真っ暗な部屋では何も見えませんが、部屋の中の物体からは微弱な可視光線が飛んできています。ですから真っ暗な部屋でも、ジッと同じ場所を見つめていれば、そこに物があればボンヤリと見えてくるのです。

ジッと同じ場所を見つめるということは、目が取り込む光の量を増やしているということです。微弱な光でも、時間をかければ取り込む量の総和は多くなり、目が認識できる光量に達するのです。カメラでも「シャッタースピード」や「絞り」を調整し、フィルムに写る明るさの範囲をずらす(つまり取り込む光量を増やす)ことで、暗い場所で写真を写すことができます。

心霊写真を科学的に説明する方法として、この理屈を使っている人もいます。「霊は微弱な電磁波を出しているので肉眼では見えないが、カメラのシャッタースピードや絞りがうまい具合に調整され、取り込む光量が増えて写真には写った」という説明です。

この説明はいちおう科学的ですが、やはり無理があります。

まずシャッタースピードで光量が調整されたという場合には、かなり長いシャッタースピードになるということです。一般のカメラではせいぜい30秒くらいが限度になっています。シャッターが切れるまでに30秒もかかっていると、写そうとしている本来の被写体(記念写真ならば人物)が動いてしまい、ぼやけた写真になります。三脚に据えないで手持ちで撮影すれば、30秒も静止してカメラを構えているのは至難の業ですから、必ず大きな手ぶれも起きます。「はい、チーズ」と、ほぼ一瞬でシャッターを切っている場合がほとんどですから、シャッタースピードで光量が調整されたという仮説は、却下されます。

絞りの方で光量が調整されたという場合ですが、これは写真の基礎を少しでもかじった人には「それくらいでは心霊写真は写らん」と即断できるでしょう。絞りを調整して光量を最大限に取り込むためには、絞りを「開放」にしますが、その程度では「目に見えない微弱な光が写る」といったレベルまでの光量は増えません。光量を増やすには、シャッタースピードを長くする方がはるかに効果的です。

また、絞りを開放にすると被写界深度が浅くなります(被写界深度についての詳細は前回の記事をご参照ください)。つまり、ピントの合う範囲が狭くなります。人物だけハッキリ写して、背景をぼかしたりする場合に絞りを開放にして撮影します。ですから、絞りが原因であるなら、霊がうまい具合にピントの合う範囲の中にいないと、霊の顔などがハッキリ写らないです。

そもそも、「霊は、肉眼では見えないけれども写真には写る」という思い込みが、一種の「科学信仰」に近いのです。「カメラは科学技術の粋を集めたものだから、肉眼には見えないものでも写るかもしれない」という、科学技術を過信した思い込みです。何十億年という長い生物の歴史の上に出来上がった「人間の目」と、百数十年の歴史しかない「カメラ」のどちらが優秀かといえば、当然前者なのです。人間の目の方が、カメラよりもはるかに優秀です。

人間の目は、夜空の天の川でも、灼熱の太陽に照らされた海でも、即座に認識できます。夜空の天の川をカメラで撮影するには、最新の暗視カメラでなければ無理です。しかし天の川を写せる暗視カメラでは、灼熱の太陽に照らされた海は写せません。

満月と街の夜景、夕陽とビルディング、良く晴れた青空と淡い桜の花など、明るいものと暗いものが共存する風景を写真撮影することも困難です。片方に露出を合わせると(シャッタースピードと絞りを調整すること)、もう片方が合いません。それぞれ片方には対応できるのですが、両方同時には対応できないのです。

しかし人間の目ならば、ありとあらゆる明るさに対応できます。しかもフルカラーで、なおかつ動画です。しかもしかも、明るさが極端に違う被写体が近接しても、脳が画像処理して対応してくれるのです。ものすごく高性能な装置が、人間の目なのです。

ですから、もし霊が写真に写されたとすれば(可視光線を発しているのならば)、その写真が撮影された現場では、カメラよりも高性能な肉眼でも必ず見えていたはずなのです。しかし、心霊写真の全てが「写真を撮ったときは、こんな人いなかったのに…」というものです。これは、肉眼とカメラの構造に矛盾するのです。

「どのような仕組みで写真が写るのか」ということを知っている人にとっては、どんな写真を見ても「これは可視光線がフィルムもしくはCCDを感光させた」と理解できます。しかしカメラの仕組みを知らない人にとっては、「うわぁ~怖い、幽霊の写真だ」と思うわけです。カメラの仕組みを知らないがゆえに、制約なしに空想できるのです。そういう空想が悪いと言っているわけではありません。ただ、正しい知識を持ったうえで物事を考えた方が、より深い理解、より深い悟りにつながると思うのです。科学を軽んじてはいけないし、逆に科学を過信してもいけないのです。

心霊写真をメッタ斬りにしてしまったような感じですが、ぼくは霊の存在をひそかに信じています。というか、「死んでも霊になって存在し続けたらいいなあ、そしたらあの人、この人にも会えるなになあ」と期待しているといったほうがいいかもしれません。つまり、科学者でありながら、霊にはとても寛容なのです。それでも、霊そのものが被写体としてカメラに写ること(霊から可視光線が飛んでくること)はないと、科学的な結論として断言しておかねばらないと思うのが、ぼくの良心です。


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