「天職ではない」と思っている仕事が、実は「天職の一部分」なのかもしれません


フレッシュマン
『会社員が「天職」に出合う確率は?』という記事を読みました。30~40代の男性ビジネスマン222人に聞いたアンケートで、「今の仕事は天職ではないと思う」と答えた人が60.8%ということでした。その理由として最も多かったのが「仕事が楽しくないから/嫌いだから」で42.2%、次が「自分の力を発揮できていないと思うから」で35.6%という結果でした。

裏を返せば、「楽しい、好き、自分の力が発揮できる」といった仕事を天職だと考えていることになります。実際に、「今の仕事が天職だと思う」と答えた39.2%のうち、「自分の力を発揮できていると思うから」が55.2%、「仕事が楽しいから/嫌じゃないから」が46.0%となっています。また「長く続けているから」と回答した人も37.9%いたということです。これらを受けて、記事では次のようにまとめています。

「石の上にも三年」ではないが、はじめから天職だと思えずとも、続けていくうちに天職になる可能性もあるのだ。

「今の仕事、向いてない…」と悩み、「他の仕事なら活躍できるかも!」と早々に見切りを付けてしまうと、天職に巡り合うチャンスを逃してしまっている可能性も。「天職」は外に“探す”ものというより、仕事を通して“辿り着く”ものなのかもしれない。充実した社会人生活を送るためにも、一度ゆっくり今の仕事について考えてみては?

経験は必ず後の人生に生かされていきます

この記事には、とても共感いたしました。それは以下のような理由からです。

ぼくはプロフィールに書きましたように、理系の学校を卒業し、新聞社に入社して記者・編集者になりました。数年後に映像メディア業界に移り、ディレクター・プロデューサー。さらに十数年後には、その会社のサラリーマン社長になり、数年後に退任して独立。個人事業主になりました。

独立してしばらくは映像制作を主に請け負っていましたが、現在ではほぼテープ起こし(録音された音声を文字にする仕事)がメインとなっています。テープ起こしにもいろんなジャンルがあって、科学、宗教、医学、法律、経済など、専門分野の案件ほどこなせる人が少ない分、単価が高いです。

ぼくはプロフィールで書いたように、もともと理系で科学全般(医学も含む)は大好きですし、宗教にも関心があり、会社経営をしていたので法律や経済にも詳しいです。むろん、新聞社にいたので、テープ起こしそのものの技術もあります。おかげさまで、いろいろなテープ起こしの案件をいただけて、どうにか家族を養っていけるだけの収入は確保できています。

今のぼくは、まさに天職に就いているなあと感じています。その大きな理由は、やはり「仕事が楽しいから」からであるし、「自分の力を発揮できていると思う」からです。後者の理由は上で述べたとおりで、自分の経験やスキルを生かせているから感じることです。でも、やはり自分にとって大きいのは、前者の理由です。楽しいのです。

ぼくは、とにかく学ぶことが大好きです。知識欲は旺盛です。トイレでは、何か本を読んでいないと用を足せないくらいです。常に頭の中に新しい情報を入れていないと、生理現象に支障をきたすくらいです(ちょっと異常か?)。

今の仕事は、その分野では一流の人たちの講演、あるいはその分野の一流の人たちが問題解決のために行う非公開の極秘会議などを、お金をもらって聞くことができるのです。ものすごく刺激的で、こんなに楽しいことはありません。「ああ、天職に巡り合えた」と、しみじみ感じています。

神さまがいるかいないかは別として・・・

天職とは、もともとキリスト教から来た言葉で、原語は「コーリング(calling)」や「ヴォケーション(vocation)」と言います。どちらも「呼ばれること」という意味です。誰が呼ぶのかといえば、神さまです。全てのことをご存じである神さまが、自分にふさわしい職業に導いてくださるという考え方です。

これだと「自分に選択権はないのか」と、ちょっと反発してしまうのが、理系のぼくのいけないところですが、「じゃあ、科学で否定してみろ」と言われてもできません。そもそも神さまについては、科学の範疇ではないからです。仮に(あくまでも仮に)神さまがいたとしても、それは棚上げにして物理現象だけを見つめて研究するのが科学だからです。

キリスト教では神さまを父、人間を子と考えています。天理教でも親神様というように、神さまは人間の親です。それが正しいかどうかは科学で確認するすべはないですが、自分が子育てをしてきた経験から「案外そうかもね」と思うところもあります。

ぼくには3人の子どもがいますが、それぞれ特徴があります。長女はイラストが得意、長男は理系、次男は正義感の強い体育会系(柔道有段者)です。親から見て、4~5歳ぐらいから大体そういう個性は分かりました。なので、それぞれの個性が発揮できるようにサポートしてきたつもりです。

長女はイラストの分野で働き始めましたし(ちなみに、このブログのぼくのイラストも長女作)、長男も理系の学校で就学中(ぼくの母校というのが、泣かせるじゃん)、高校に入学したばかり次男は既に警察官になるという目標を持っています。子どもたちからみれば、それぞれ自分が選んできた道ですが、親はその長所を伸ばそう、逆に短所を是正しようと、出しゃばり過ぎずに、陰に陽にサポートしてきたわけです。

仮に(あくまでも仮に、くどいか)親なる神さまがいたとしたら、やはりそういうふうにして導いているはずです。だって、出しゃばったら人間が「これは初めから決まっていた道なのか」と分かってしまって、親が全部決めているようで、面白味がないです。そんな親は、あまり優秀な親ではありません。ましてや全知全能の神さまなのですから、そんなまねはしないでしょう。

そう考えますと、冒頭に引用した記事のように「はじめから天職だと思えずとも、続けていくうちに天職になる」と考えるのが妥当だと思います。自分が今経験していることは全て、仕事だけではなくプライベートも含む全ての経験は、天職に巡り合うために必要な要素であるということです。

もっというと、今自分では「これは天職ではない」と考えていることも、実は天職なのだということかもしれません。ぼくの例でいえば、今の仕事が天職だと言えるのは、過去に経験してきたさまざまな仕事がある故だからです。過去の仕事経験がなければ天職にたどり着けなかったということは、そもそも過去の仕事も天職の一部分だったと言ってもよいわけです。

現状に多少の不満があったとして、そういう観点で取り組んでみてはいかがでしょうか。ただし、ぼくの経験上、「石の上にも三年」は短いかも。「石の上にも三十年」くらいのスパンで考えることをお勧めいたします。


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