魂の痛みを感じないために、今から取り組んでおきたい3つのこと


紺碧の海
ぼくは7歳のときに、2歳下の弟を事故で亡くした経験があります。それ以来、人の生と死について考えたり、そもそも人間って何なのか、人生って何なのかといったことを考えたりするようになりました。

そもそも弟が事故に遭ってしまったのも、ぼくに責任の一端がありました。一緒に遊んでいなければいけなかったのに、小学校の同級生が遊びに来たものだから、ついそちらの遊びに夢中になってしまったのです。気が付くと弟が事故に遭ってしまっていたという次第です。

ですから、ぼくは罪悪感に悩まされました。自分に生きる価値があるのかということも考えました。

また、生と死とは、人間とは、人生とは、ということだけではなく、死んだらどうなるのかということも考え、悩みました。もし死んでも魂が残ってどこかに居るのならば、弟はどう思っているだろうなとか、ぼくが死んだら会ってくれるかなとか、そういうことも考えていた小学生時代でした。だから、かなり変わり者だったと思います。

そういうことで、あまりにも悩むものだから、中学生になると母親も見かねて「おばあちゃんに聞いてみたら」と言いました。なぜか祖母がクリスチャン(といっても熱心ではありませんでしたが)だったので、早速訪ねと、「これでも読みなさい」と渡してくれた物が聖書でした。

聖書を読んでみましたが、初めの旧約聖書でつまずきました。「あ、駄目だ、こりゃ」と思いました。とにかく人殺しの話が多過ぎました。人生とは何かを教える書というよりも、イスラエルという民族が悪の勢力に戦って勝利していく、戦争の書というイメージを受けました。その他にも、いくつかの宗教書を読んでみましたが、イメージは変わりませんでした。「だから今でも宗教戦争が絶えないのだな」と考える、変な中学生でした。

それは宗教というものの性質上、当然と言えば当然だと思います。「この教えを信じれば救われる」というのが宗教の基本ですから、自分たちの教えを善(あるいは真理)と定義付けなければなりません。つまり、世の中を必ず善と悪に分けるわけです。必然的に勧善懲悪となり、争いが生じやすいです。

宗教では自分の悩みを解決できないと思ったので、理系に進んだ次第です。科学は公正中立に物事を判断して、森羅万象の中に潜む真理を見つけてくれると思ったからです。必ずしもそうではないことは後で分かりましたが、ここでは割愛します。詳しくは連載「科学盲信警報発令中!」をお読みください。ともかく、科学は宗教よりも客観的に真理に近いものを見いだしているから、科学技術によってぼくらはさまざまな恩恵を受けるようになっていると思っていたわけです。

いろいろと勉強はしましたが、やはり科学だけでも人生の難問は解決できないなあというのが率直な感想です。日常生活を過ごす上では、それでも特別困りませんが、死を間近に控えた人に接すると、そうもいきません。もちろん、自分がそのような状態(死期が迫った状態)になったらなおさらでしょう。

健康なうちから自分自身に行いたいスピリチュアルケア

今のところ私はまだ健康なのでそういう状態でもないですが、父を一昨年亡くしました。やはり死期を悟ってからは、父もだいぶ精神的に苦しかったようです。そういう状態を緩和ケア(がんなどの末期患者のケア)の分野の用語でスピリチュアルペインというそうです。父の介護を通して、そのことを学びました。

スピリチュアルペイン

終末期患者の人生の意味や罪悪感、死への恐れなど死生観に対する悩みに伴う苦痛のこと。「私の人生は何だったのか」「生きている意味はあるのか」と思い詰めることで、「魂の痛み」とも訳される。世界保健機関は、肉体的(フィジカル)、精神的(メンタル)、社会的(ソーシャル)の三つの面から健康を定義してきた。しかし、近年、人間の尊厳などを視野に霊的(スピリチュアル)を加えた議論を始めたことで広く知られるようになった。薬や社会制度などで取り除けないこの痛みを癒やすのも、緩和ケアの重要な役割とされる。

確かに、スピリチュアルペインは肉体的、精神的、社会的な側面から支援する従来の緩和ケアでは取り除けない痛みです。それらとは異種の痛みなので、「魂の痛み」という訳語は適切だと思います。

スピリチュアルペインに対するケアは、スピリチュアルケアと呼ばれ、さまざまな考察、取り組みがなさるようになっています。その第一線を走っているのが、京都ノートルダム女子大学教授の村田久行さんで、彼の唱えたスピリチュアルケアの概念は村田理論と呼ばれています。

村田理論は、現象学と実存哲学をベースにしており、人間とは「時間存在、関係存在、自律存在」であると定義することから始まります。

時間存在とは、過去・現在・未来というつながりの中で自分が存在していること。関係存在とは、他人との関係の中で自分が存在していること。自律存在とは、自分のことは自分で決められることです。

村上理論では、この3つのうち1つでも失われることがあると、スピリチュアルペインに陥ってしまうというものです。そして、このうちの1つが失われても、他の2つの要素が補われることでスピリチュアルペインを緩和することができるという理論です。

例えば末期がんなどになると、自分のことが自分でできなくなります。つまり自律存在が失われます。しかし、家族や友達との関係が病気以前にも増して良好になれば、失われた自律存在の部分を関係存在が補い、スピリチュアルペインは和らぐといいます。

ただし、これは言葉でいうほど簡単ではないそうです。病気になっていない他人には、いつもと変わらぬ日常生活があります。仕事もあれば学校もあります。そんなに頻繁に見舞いに来ることもできません。失われた自律存在を埋めるためには、今まで以上の人間関係を築かねばなりません。家族であれば多少はその努力はするでしょうが、それだけで失われた自律存在が埋められるかは疑問です。

ですから、もう一つの要素、時間存在のほうでの埋め合わせが、どうしても必要になってきます。つまり、あなたの時間は失われないということ、将来はまだあるのだということ、端的に言えば「死んでも終わりではなく、あなたは存在し続けますよ」という確信を持たせることです。こういう経緯で、宗教の門をたたく人も多いようです。

ぼくは、どこかの宗教に入れと勧めるものではありません。例えば「千の風になって」のように、自分は自然に帰って風になるんだと信じるのもいいでしょう。誰かの心の中に生き続けると信じるのもいいでしょう。本を書く、ブログを書く、といったことで、情報として生き続けると信じるのもいいでしょう。

もちろん、何らかの宗教を持って、死後の世界の存在を信じていくのもいいでしょう。でも、宗教にも限界があることは十分に理解しておいたほうがよろしいです。何かの教えに依存し過ぎるのは危険です。そういう状態も、実は「精神的な自律存在」を失わせることになるからです。過度に依存することなく、自分の意思をしっかりと持っていきましょう。

まだまだ元気なうちから、自分の中の「時間存在、関係存在、自律存在」の部分をそれぞれ充実させていくことが、もっと重要かもしれません。

死んだ後に自分はどうありたいのか(時間存在)、どんな人間関係を築いていきたいのか(関係存在)、寝たきりになる時間を最短にするための体力づくり・健康管理(自律存在)。この3つについて、今から考えて取り組んでいくことが肝要だと思います。


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