キム・ヨナさんの銀メダルに不満を爆発させる韓国人は、極めて人間らしいです


11日に「モーグル・上村愛子さんの4位に思う」と題して書きましたが、また同じようなことが起きました。ぼくは優しい日本人ですから控え目に言いましたけれども、韓国人は激しいですね。国中で不満を爆発させているようです。IOCにも採点を不服として確認を求めていましたが、「採点の再検討はしない」と拒否されました。選手が反則をしたというわけでもないですから、IOCの対応も当然でしょう。審判団まで疑い出したら、それこそ収拾がつかなくなってしまいます。韓国も、ここらへんでお終いにしてほしいものです。

もう、機械に任せるしかないでしょう

基盤
4年に一度の世界的なイベントなのですから、こういう揉め事は見たくないです。そのための改善案は、次の2種類に限られると思います。

1、採点競技は廃止する。
2、採点競技の審判は機械に任せる。

そもそも、主観的な動物である人間が判定するから、これまた主観的な人間が不服を申し立てるわけです。したがって、人間が判定する競技は廃止してしまえば、揉め事は起こりません。未来の真央さんヨナさんを目指している若きフィギュアスケーターには申し訳ありませんが、次回のオリンピックからフィギュアスケートには消えていただくということです。

でも、それは非情です。1つの競技がオリンピックに入る入らないということだけでも、揉め事になります。一度オリンピック競技になったものは、二度と外さないほうが良いと、ぼくは思っています。ですから、現実的には2の案しか選択肢はないと思う次第です。

機械は客観的です。いったん決めたルールを厳格に守ってくれます。人間のように、体調や気分や民族性や賄賂などに左右されることはありません。オリンピック競技は一定のルールのもとに判定するのですから、すべて機械に採点してもらうべきだと考えます。

カラオケだって、採点マシーンがあるくらいです。オリンピック競技だって、客観的に採点してくれる機械は作ることができるはずです。

機械では「美しさ」は採点できません

ポピー
既に亡くなっているぼくの父は、歌が好きでしたし、うまかったと思います。若いころは、歌手になろうとしたほどです。ところが父をカラオケに連れて行くと、採点マシーンは酷い点を付けるのです。父は、次のように言いました。

「伴奏とは、伴って奏でるものだ。歌う人間が主役であって、伴奏は歌に付き従うものなのだ。それなのに、人間が機械に合わせて歌って、しかも機械に点数まで付けさせるとは、主客転倒も甚だしい。わしはもうやらん」

確かにその通りです。カラオケの採点マシーンが高得点を付けたからといって、その人の歌がうまいと感じるかどうかは、聞いている人によってまちまちです。テレビ番組でも、その歌を「持ち歌」にしている歌手が、カラオケの採点で高得点を取れないシーンをたびたび目撃します。

浅田真央さんが16位から6位まで挽回したフリースタイルの演技などは、ぼくも観ていて鳥肌が立ちました。感動して泣いた人も多かったと言います。日本の一般人が採点したら、真央さんは金メダル間違いなしです。

つまり、所詮人間なんて、その程度だということです。主観的なのです。決して客観的な採点などできないのです。逆に、「歌がうまい」とか「スケーティングが美しい」といったことは人間の主観で判断しているのであって、決して機械では判断できないのです。

オリンピックなどのスポーツ競技、つまり「技を競う」というものについては、「競う」という限り順位を付けなければなりません。そのためには数値化しなければなりません。その仕事において、主観的な動物である人間は不適格者です。機械に任せることが賢明です。

しかし、客観性だけがすべてではありません。否、むしろ主観性こそ人間らしさなのです。カラオケの採点マシーンで低い得点であっても、うまく聞こえる歌はあります。フィギュアスケートの採点マシーンができたとしても、演技の美しさを感じたり、喜びや勇気を感じることができるのは人間だけなのです。そういう意味では、キム・ヨナさんの銀メダルに不満を爆発させる韓国人は、極めて人間らしいです。

オリンピック競技の採点をすべて機械が担当したところで、主役の座は我々人間のほうなのです。気兼ねせず、どんどん機械を使いましょう。それが科学文明の中における、オリンピックのあり方だと考えます。


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