「ゆとり世代対策」に苦慮する大人も、かつては「新人類」と呼ばれました


「ゆとり世代」が社会人になるにつれて、新たな制度を導入する会社が登場しています。「豆腐の賞味期限が切れる」という理由で飲み会を断る彼らに対し、参加すればポイント(現金に交換可能)がもらえる制度を設けた会社もあるそうです。他にも、仕事上の失敗を表彰するとか、恋人の誕生日に休むことができる「恋愛休暇」を取得できるとか、果ては「社員旅行に親が同伴できる会社」まであるそうです。でも、そこまでしないと離職率が上がってしまうので、彼らにかけた採用や教育のコストを考えれば、費用対効果としてはよろしい、ということらしいです。

週休2日制の定着に一役買った「近ごろの若いもん」

フレッシュマンこのような対策を講じなければ離職してしまう彼らに対して、「最近の若者は…」とか「近ごろの若いもんは…」という声が聞かれます。しかしこのような論調は、何も今に始まったことではありません。ぼくが若者のころにもありました。ぼくらは1980年代に社会人となりましたが、当時は「新人類」と呼ばれていました。

1986年4月に読売新聞で「背広を着た新人類」という連載がありました。ちょうどぼくが某地方新聞社に入社して社会人となったときだったので、興味深く読ませていただきました。第1回連載分から、少し引用します。

今年の新入社員は新人類四期生ということになる。企業側は戸惑いの期間を過ぎ、一応の対応法を見つけ出しても良いころだ。「残業を命じれば断るし、週休二日制は断固守ろうとする。だから、仕事は金曜の夕方までにわれわれ上司が手を貸して片づけさせるしかないんです」(保険会社課長)。「社費留学で海外にやると、帰国したとたん会社をやめてしまうんで、期間を短くしたり、帰国後にノルマを課したりしています」(商社部長)。ニッポン企業では残業が激減し、週休2日制が定着しつつある。離職・転職はふえる一方だ。これらをすべて新人類社員のせいにするわけにはいかないだろう。しかし日本株式会社を特色づけてきた「働きすぎ」「終身雇用制」「滅私奉公」といった傾向が薄れ、欧米型の企業システムに近づいてきた背景には、やはり新入社員の存在が大きく働いているといっていい。

ぼくらは、こういう目で上の世代から見られていたわけです。そして今、40代後半から50代になったぼくらは、「ゆとり世代」の彼らに同じことを思い、同じような対策を講じているわけです。

大人が若者を「上から目線」で評するのは、世の常です

シニアそもそも、上の世代が下の世代に対して「最近の若者は…」とか「近ごろの若いもんは…」などと言うことは、世の常です。少し考えれば、そんなことは自明です。

社会経験を積んで歳を重ねれば、相応の苦労を経験していくわけです。それに比べたら、まだ親に養ってもらっている学生や、卒業したばかり新社会人なんて、たいした苦労などしていません。そんな若者が楽をしようとしたり、自己主張したり、義務よりも権利ばかり行使しようとしたら、年配者は誰だって「本当の苦労を知らないくせに…」と思うものです。

数年前に、エジプトの遺跡からも「最近の若者は…」という文言が見つかったと騒がれていました。まあ、このことについての真偽は分かりませんが、多かれ少なかれ、いつの時代にもそういうことは言われていたと思います。年配者から見たら、若者は苦労知らずの自己中心者に見えるのです。

アイザック・アシモフの著書「アシモフの雑学コレクション 」にも、そのような文章が出てきます。引用します。

子供は暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても起立もしない。親にはふてくされ、客の前でも騒ぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師に逆らう。(ソクラテスの言葉)

最近の若者はなんだ。目上の者を尊敬せず、親には反抗。法律は無視。妄想にふけって街で暴れる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる。(プラトンの言葉)

「最近の若者は…」、「近ごろの若いもんは…」という「上から目線」は、いつの時代も変わらない年配者の性(さが)なのでしょう。ソクラテスやプラトンのように、人生を極めた立派な人でも、この「上から目線」は避けられなかったのです。

変化に順応していくことが、進歩を促します

キリンダーウィンの進化論は、「強者が弱者を駆逐してきた」というように誤解されていますが、そうではありません。「環境の変化に順応してきた生物が生き残ってきた」というものです。企業も、刻々と変わる環境に順応していかなければ、存続することは難しいのではないでしょうか。もちろん、その企業で大切にしているポリシー、侵すことのできない理念などは保守するべきですが、それ以外の枝葉の問題にはこだらないことが肝要だと考えます。

「ゆとり世代」に対する新制度を導入した会社に、否定的な論調を投げかける人々に言いたいことは、「いやいや、あなた方も新人類などと言われて、会社の制度を変える要因になってきたんですよ」ということです。時代の変化をネガティブに考えるのではなく、ポジティブに受け止めて、新しいチャレンジをしていく企業こそ、生き残っていくと思います。

「ゆとり世代」というカテゴリー分けが良いか悪いかは別にして、若者の意識が変わってきていることは事実です。これは歴史が証明していると言っても良いでしょう。いつの世でも「最近の若者は…」、「近ごろの若いもんは…」と言われるのです。若者は前時代の常識を覆し続けてきたのです。

その事実を積極的に受け入れ、より良い社会作りに反映させていくことが、大人が成すべきことではないでしょうが。愚痴を言っているだけでは、決して人間社会は進歩しません。そんなことでは、変化する環境へ見事なまでに順応してきた動物社会に負けてしまいます。


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