富岡八幡宮殺人事件とダーウィンの進化論から見える「人が信仰を失うとき」


昨年12月、女性宮司が弟らに殺害される事件が起きた富岡八幡宮では、初詣に訪れた人の数が激減したそうです。

富岡八幡宮 参拝客が8割減少

富岡八幡宮には、例年、正月3が日に、およそ15万人が訪れるが、2018年は、8割近く減り、およそ3万5,000人だったという。

容疑者の弟も元宮司で、姉と跡継ぎ問題で長年もめていたようです。

死んでも怨霊となって祟る「富岡八幡宮」弟と姉の確執16年

茂永容疑者と入れ替わりに、長子さんが跡継ぎになったのは2010年のこと。

しかし、全国の大多数の神社を統括する宗教法人・神社本庁は申請を受けても長子さんを宮司と認めなかった。
(中略)
2017年6月、宮司への任命を認めない神社本庁を離脱した長子さんは、正式な宮司に就任。茂永容疑者の “復職計画” 実現は絶望的になった。

12月9日、富岡八幡宮の関係者のもとに、自殺した茂永容疑者からの8枚にも及ぶ手紙が届いた。内容は、長子さん、興永さん、親族関係者への誹謗中傷と、息子を富岡八幡宮に宮司として復職させろという要求だった。

<もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永久に祟り続けます>

姉弟の対立は解決することなく、最悪の結果を迎えた。

日本は諸外国と違い、独特な宗教観(希薄な宗教観といってもいい)があるので、初詣に来る人が熱心な信仰者というわけではないでしょう。茂永容疑者が怨霊になってそこにいるから参拝に来ないといわけではありますまい。でも、明らかにご利益はなさそうに思いますから、どうせ初詣をするならば違う神社を選ぶのは当然です。

この事件を見ると、人がどういうときに信仰を失うか、よく分かります。容疑者は、神仏そのものを不信していたのではありません。否、むしろ宮司に戻りたかったのですから、神仏は信じていたのでしょう。しかし、人間関係でつまずいたのです。姉との関係が悪くなり、神仏に仕えることなどどうでもよくなり、殺人という凶行に及んだのです。

参拝者も、「怨霊がいそうだからご利益がない」というのではなく、「宮司たちの人間関係がそんなにドロドロめちゃくちゃな神社にご利益があろうはずがない」という気持ちがあって離れていったと思います。どんなに立派なことを言う宗教でも、そこの団体の人間関係がドロドロめちゃくちゃだったら、信者は離れていきます。

進化論の父といわれるチャールズ・ダーウィンも、そのようにして信仰を失った人です。

ダーウィンは妻のエマとともに熱心なクリスチャンであり、創造論者でした。しかし、長女のアニーが原因不明の病気で、10歳の若さで亡くなります。切実な祈りと、献身的な看病もむなしく亡くなったアニーの姿を目の当たりにして、ダーウィンは神への信仰が揺らいでいきます。

ダーウィンは次のように述べています。

「この世に存在する苦痛や苦悩は、神の直接的な介入によってもたらされているものではなく、一連の自然現象、すなわち一般的な自然法則がもたらす必然的な結果であると見るほうが、私にとっては心安らぐ解釈なのです。」

アニーの死によって、ダーウィンのパラダイムは「神によって創造され、運行される自然現象」というものから、「神なき自然現象」というパラダイムにシフトしたのです。そのようなパラダイムに基づいて自然界を観察した結果、進化論を生み出したのです。

彼が信仰を失った大きな要因はアニーの死でしたが、他にも要因が幾つかありました。一つは、所属教会です。

ダーウィン一家は唯一なる神を信じ、三位一体論を信じていませんでした。しかし所属教会は、三位一体論に関するダーウィンの疑問に答えず、ただ信じることを強要しました。礼拝の時間、全信徒に三位一体論を信じることを誓う信徒信条を朗読させました。ダーウィン一家は、信徒信条の朗読時間になると、祭壇から顔をそむけて拒否しつづけました。

所属教会のイネス牧師は、とても独善的な人だったそうです。特に彼の子ども礼拝が、酷い酷い。「病気になるのは罪を犯したからだ」とか「病死したら永遠の地獄で苦しむ」などと、子どもに言うのです。病を抱えたアニーが、どんな思いで聞いていたでしょうか。

しかもイネス牧師は、他教会の批判を子どもたちにしていたのです。こんな説教、大人が聞いても気分が悪くなるでしょう。ダーウィンは、教区総会に出席してイネス牧師を糾弾したほどです。しかも、ダーウィンの問題意識である「創造論(6日間の天地創造)と地質学上の発見との矛盾」に回答できる聖職者がおらず、キリスト教の限界を悟りました。ですから、アニーが亡くなった後は信仰を失ったのです。

アニーが亡くなっても、信仰の篤いエマは他の子どもたちと共に礼拝に通い続けました。しかしダーウィンだけは教会に入らず、礼拝が終わるまで教会のまわりを散歩して過ごしていたそうです。

彼に信仰を失わせたもう一つの要因は、インチキ霊能者です。死に別れた肉親からメッセージを伝えてくれるという霊能者が話題となっており、ダーウィン夫妻もアニーに会いたい一心で、その霊能者のもとに出かけました。霊能者が霊を呼び出し始めると、テーブルが動いたり、窓ガラスが鳴ったりしました。ダーウィンは、それがインチキであること(仕掛けがあること)を見抜き、席を立ったのです。

神の代身である教会に失望し、霊界の代身である霊能者に失望したダーウィンは、もはや見えない世界を信ずる心を失いました。しかし、持ち前の探求心と、「アニーの死の意味を理解したい」という情熱が、神なき進化論を誕生させたのです。

もし、アニーの死を契機に信仰が揺らいでいたダーウィンを、教会がしっかりケアしていたら、歴史は変わっていたでしょう。 教会が、アニーの死を共に悲しみ、三位一体論への疑問に答え、創造論と地質学の矛盾を共に考えていたら、ダーウィンは神を否定する進化論ではなく、神を肯定する”新創造論”を唱えていたかもしれません。教会の聖職者が人間関係に失敗したため、教会は優秀な信者だったダーウィンを失い、神を否定する強固な武器である進化論を作らせてしまったのです。

世の宗教団体の職員の方々は、ぜひご参考にして、信者さんのケアをしっかり行ってください。


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