「愛」には「卒婚」という賞味期限はありません


俳優の加山雄三さんが「卒婚」であると語ったことで注目を集めています。「若大将がそんなこと言ってはダメでしょう」と思います。理解不能です。頭は柔軟なつもりだったのですが、案外ぼくはコチコチの保守系だったのかな…。

結婚とは、自由を制約するものです

新郎新婦
長く連れ添った夫婦が、子供の独立や夫の定年退職などを機に、別々のライフスタイルを選択していくことが「卒婚」なのだそうです。離婚するわけではなく、籍はそのまま。しかし、別々の場所に住んで、違った生活をするのだそうです。同居しながらも、互いに干渉せずにそれぞれの人生を歩むケースもあるとのこと。

意味不明です。離婚のほうが、まだ理解できます。ちなみに、ぼくは離婚も反対です。結婚した男女は、死ぬまで一緒に生活するべきだと考えています。というか、「死ぬまで愛する」という覚悟がないならば、結婚するべきではないと思っています。

人間には、自由に生きることが保障されています。何人たりとも、他人の自由を侵害することは、それが犯罪者である場合を除いて許されません。しかし、例外があるとすれば、結婚だと思うのです。

結婚生活には、さまざまな制約があります。それはそうです。自由に生きることを保障されている他人同士が、一緒に暮らすのですから当然です。結婚とは、個人の自由が制約されるものなのです。

では、なぜ自由を制約されてまで結婚するのでしょうでしょうか? それは夫や妻を愛したいからです。愛は自由に優るのです。だから結婚するのです。この軟弱なぼくですら、妻と結婚するときには「君を死んでも守るから」と言ったものだし、言葉だけでなく覚悟したものです。もし、目の前で妻が暴漢に襲われたら、自分が殺されても妻を守ろうと思いましたし、今でも思っています。

つまり結婚って、自由の制約どころか、「自分の命さえも投げ出して、相手を幸せにしたい!」というところから出発しているのだと思います。そういう観点で考えれば、「年老いたら、それぞれが束縛されずに自由なライフスタイルを…」って、なぁ~に言ってるんだ、と呆れてしまいます。だったら、初めから結婚するな、と言いたいです。

未来を担う子供たちの手本となる老後を

シニア
年老いたら、夫婦のどちらかに介護が必要となるかもしれません。そのときに「卒婚者」はどうするんでしょうか? 「もうお互い自由に生きると決めたのだから、面倒をみなくてもいいよね」と、相手のことは放っておいて楽しい人生をエンジョイするのでしょうか?

子供はどうするのでしょうか? もちろん、子供といっても成人を越え、家庭を築いているでしょうから、「父さん母さんが決めたことならいいよ」と言ってくれるでしょう。しかし、本心は複雑なはずです。ぼくの友達に、親が離婚した人がいますが、「まったく、子供(孫)に、なんて説明したらいいか分かんねえよ」とぼやいていました。小さい子の教育に良いとは思えません。

ゲームだったら、途中でリセットしてもいいです。でも、結婚はゲームではありません。人間にとって何よりも大切な「愛」というものを根幹にしている、とても厳粛なものです。他者のために生きること、場合によっては他者のために死ぬことをもいとわないものが「愛」です。「愛」こそ、人間らしさの根源です。

以上のような理由で、ぼくは離婚にも卒婚にも反対です。人間の尊厳にかかわる大問題であるとすら思っています。「愛」が安売りされているように感じます。異常な犯罪が増え、殺伐とした世の中になってきているのも、「愛」のバーゲンセールがなされているからではないでしょうか?

離婚するなら、卒婚するなら、初めから結婚しないでほしいです。「愛」に賞味期限はありません。未来を担う子供たちの手本となる老後を送っていきましょう。


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