読書離れで軽薄になっていく人間に危惧


読書時間がゼロの大学生が4割を超えたのだそうです。「人生にとって大切なことは、読書ではなく体験である」という反論もおありでしょうが、読書も体験です。読書という体験をしない人生は、重要なことを欠損すると思います。それは「悟り」です。読書ほど、人を「悟り」に導くものはないと思うのです。

長く深く心に残るのが、活字メディアの特性

積まれた本
どんな本でも、作者が何かしら訴えたいことがあって書かれています。作者の人生観、哲学、思想、信条など、さまざまな要素が盛り込まれています。読書をせずに生活していても、こういうものに接する機会は多くありません。

「それはテレビでも映画でもネットでもスマホでも同じじゃないか、本だけの特権ではない」と言うかもしれません。でも、「本を読む」という体験で得たものは、長く深く心に残るものです。これは活字メディアの特性でしょう。

テレビ・映画などの映像系メディアも多くを学べるものですが、それは瞬間的で表面的、短く浅く心に残るものです。刺激的ではあるのですが、細部までは記憶に残らないものです。ネットやスマホなどで得る情報も同じで、本に比べるとサッサと次の情報に行ってしまうもの。「学ぶ」、「悟る」というよりも、「情報を探す」というツールなのです。

ですから、たくさんの冊数の本を読むと、「本当に勉強したなあ」という実感がありますが、映像系やネット系の情報では「なるほど、面白かった」と軽い感じになってしまうことは否めません。読書離れは、人間を軽薄にしていくと危惧します。

人生に大切なことは、体験の先にある「悟り」

悟りの間
でも、読書もテレビ鑑賞も映画鑑賞のネットサーフィンも、それ自体が「体験」であることには変わりありません。人生が「体験」の積分(寄せ集め)であるのならば、読書体験だけを重視するのもいけないかもしれません。それでもぼくが読書を重視する理由は、冒頭で述べたように「悟り」を得られるツールだと思うからです。

「悟り」という言葉が宗教臭ければ、「心が耕される」と言い換えてもよろしいです。もっと咀嚼してしまえば、「質が良い体験」とでも言いましょうか。読書には、そういうところがあります。

人生は「体験」の積分(寄せ集め)ではありますが、本当の重要なことは体験そのものではなく、「その体験から何を悟ったか」ということだと思います。例えば、「猛暑の日に、うまいビールを飲もうと冷蔵庫に入れておいたのに、家に帰ったら息子が飲んでいやがって、頭に来たよ」という体験談を聞いても、「あはは」と笑ってお終いです。単なる体験談は、何かを悟らしめる効果は少ないです。

でも、「息子にうまいビールを飲ませることができて、おれはなんと幸せなんだろうと思ったよ」と聞けば、「う~ん、素晴らしい、ぼくもそのように思えるように精進しよう」と思います。自分が楽しみにしていたことを台無しにされても、怒るのではなく、逆に喜びに変えてしまう悟りの世界を、ぼくも心に持ってみたいと思います。

読書って、こういうことが疑似体験できるのです。実際の、リアルの体験ではないですが、作者や登場人物が悩み苦しみながらも、何がしかの心の帰着を示しているものが多いので、読んでいて為になるのです。映像やネットでもこういう部分がないとは言えませんが、読書のほうが格段に上でしょう。

やはり、紙にインクで書かれているというアナログな面が、人間の視覚と脳にマッチしているのだと思います。映像やネットのように、せかせかと流れるものではなく、本は自分の時間でじっくり考えながら読むことができる媒体です。

それと嗅覚も大事かも。ぼくは本を読んでいる途中、必ずペラペラとめくって匂いを嗅ぎます。紙とインクの匂いが、なんとも言えない心地よさです。これは映像やネットでは感じられない感覚です。

う~ん、ちょっと危ないか…。でも、本好きは結構、こういう匂いは気に入っていると思いますよ。ぼくなんか、匂いで出版社も分かるぞ! う~ん、やっぱり危ない…。


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