原発賛否の論戦を繰り広げるよりも、未来志向で生産的な解決方法があります


未来に向かって
原発再稼働について、時事通信が世論調査を行ったところ、過半数の「反対」が54.3%を占め、「賛成」の32.7%を大きく上回ったそうです。原発の安全性に対して、まだまだ国民の疑念は払拭されていないようです。原発依存からの脱却を望む意見は、さらに大きく8割強だそうです。

原発再稼働、過半数が「反対」=安全性の懸念根強く-時事世論調査

再稼働に反対する理由(複数回答)は「事故が起きれば深刻な被害が出る」が77.5%で最多。「放射性廃棄物の処分にめどが立たない」の61.8%が続いた。賛成理由(同)は「エネルギーの安定供給に必要」が86.6%でトップだった。
 今後の原発の在り方に関しては「徐々に減らして将来的になくす」が49.1%を占めた。「なるべく早くなくす」の26.9%、「直ちになくす」の7.8%と合わせ、全体の8割強が原発依存からの脱却が望ましいと回答した。

福島第1の事故があったので、もはや原発が安全だと思っている人は皆無でしょう。ただ、その危険性をどれくらいの深刻度で受け止めているかが、人それぞれなのだと思います。

例えば、包丁は料理するにおいては極めて有用な道具です。しかし管理をずさんにしていれば、小さな子どもがいじってけがをするかもしれません。大人でも何かの拍子に誤って触ってしまうこともあります。

ぼくも、こんな事故に遭遇したことがあります。ぼくはたまに料理をするのですが、野菜を切り終わって、いったん包丁をまな板に置き、野菜をボールに移し替えようと思いました。ボールを出し忘れていたので、収納してある上の戸棚を開けよう背伸びをしたとき、体が包丁の柄に触れたようです。それで包丁がまな板の上で回転して、そのまま床に落下しました。幸いけがはしなかったのですが、もし足に突き刺さっていたら・・・と思って、ぞっとしました。

上記のような不慮の事故だけではなく、明確に人を殺傷しようという目的を持った者が使用すれば、恐るべき殺人兵器になってします。つまり、包丁という存在は、絶対に安全とはいえません。だからといって、人々が「脱包丁依存社会」と叫ばないのは、包丁が便利な道具であること、使う人間の十分な注意と良識に期待していること、この2つのバランスだと思います。

原発も基本的な考え方は同じだと思います。福島第1の事故前までは、十分な注意や良識について、おおかたの人間が特別疑うことはなかったわけです。ところが、想像を絶する大震災・大津波によって、その部分に疑いが生じてきたのです。人は一度疑問に思うと、その疑問が解消されない限り、いわゆる「スッキリしない」わけです。だから、原子力規制委員会がどんなに厳しく審査しようとも、その想定を越える天災が来ないとは限らないと思うわけです。

自然災害だけではありません。仮に人為的な操作ミスは回避できたとしても、包丁の例で挙げた凶悪犯のように、明確に原発を破壊しようという目的を持った者(あるいは集団・国家)が標的としてミサイルなどで狙ってくる場合もあり得ます。「そんなことをしたら同盟国のアメリカが黙っていないから、それを考えたらそんなことはしないのだ」という理屈は、いわば平時の思考です。追い詰められた者は、リスキーなことをやってしまうのです。

ぼくは、現状では原発再稼働も仕方ないのかな、と思います。中東情勢も不安定ですから、いつまでも化石燃料に頼ってはいられません。かといって、いったん事故なり事件が起きれば大変な被害となることが、先の福島第1の事故で明確に証明されたわけです。このようなエビデンスがあるのに、「安全基準を強化したから大丈夫」といって、ほいほい再稼働するのもいかがなものかなあ、とも思うのです。

こういうジレンマにはまると解決が難しくなり、賛成派と反対派が激しくぶつかるのですが、それもあまり生産性があるとは思いません。なぜなら、賛成派の主張も、反対派の主張も、正しい部分があるからです。両方正論なのです。どちらかが確実に誤っていれば軍配を上げられるのですが、どちらも正しい部分があるから、問題はいつまでたっても解決しないのです。

こういうときは、物事を複雑にせず、シンプルに考えてみるべきでしょう。この問題は、下記の2つに集約されますから、それを解決すればいいだけなのです。

問題1:原発は事件・事故の際の被害が甚大である。
問題2:原発をなくすと、いずれ電力料金の高騰、最終的には電力不足になる。

解答:原発をなしくても、安定的に安価に、電力供給が可能な発電システムを構築する。

いかがですか。回答は極めてシンプルなのです。「原発賛成!」、「原発反対!」などと、いつまでも答えが出ない主張の繰り返しは、時間の無駄です。そんな時間があったら、上記の解答を実現するために、日本の科学技術の粋を集めて、どんどん議論をしていってほしいものです。そのほうが、よっぽど未来志向で生産的です。