「慌てて結婚して、ゆっくり後悔しろ」というイギリス人の感性が好きです


教会での結婚式
17歳のときに買って、今でも書棚に置いてある本に『世界のことわざ ―民族の知恵―』編著・矢崎源九郎(教養文庫)があります。書名のとおり、世界各国、各民族の中で伝えられてきたことわざ、格言をまとめたものです。何かあるたびに、よく開いて読んでいます。Amazonを見ると中古品しかないですね。もう絶版なのかな。良著なので残念です。

17歳といえば青春真っただ中で、恋愛とか結婚に関心が出て来る時期です。ぼくもご多分に漏れず、いろいろと考えていました。そういう中で出会った本です。結婚については、以下のようなことわざが印象的でした。

慌てて結婚して、ゆっくり後悔しろ。(イギリス)
急いで結婚すると、後で後悔する。(ドイツ)
急いで結婚した者は、ゆっくり後悔する。(フランス)

あまり深く考えずにこの3つを読むと、同じことを言っているのだろうと受け取ります。要は、「じっくり考えもせず、浮かれてそそくさ結婚してしまうと、その後でジワジワと後悔するぞ。結婚は慎重にしろよ」という戒めだと思います。

でも、17歳のぼくがこれを読んだとき、イギリスのことわざだけ異質に感じたのです。命令形になっているからです。原文を調べてみても、「Marry in haste, and repent at leisure.」と、やはり命令形です。「そういうことをするやつは愚か者だ。勝手にしろ」と突き放す感じで言っているのかもしれませんが、当時のぼくはそう受け取りませんでした。

「いくらじっくり考えたところで、人の心を完全に理解することはできないし、将来がどうなるかなんていうことも予知できない。それならば、むしろ直感を働かせて『この人だ!』と思った人と結婚してしまえばいい。その後、ゆっくりと後悔していくことにもなるのだろうが、それは彼女をさらによく知っていく過程として、楽しみだと思えばいいのだ」

こんなふうに、むしろポジティブに理解していました。現実はどうなったかというと、仕事のほうが面白くて、そちらに直感を働かせまくっていたので、恋愛や結婚相手に直感を働かせることもなかったですが・・・。だから、ぼくは恋愛結婚ではなく、見合い結婚です。だだし、相手を紹介されたら数秒で結婚を決めたので、やはり直感を働かせたといえるでしょう。

ゆっくり後悔というよりも、ゆっくり幸せになっていくという感じです。恋愛結婚のように、激しく愛し合って、理解し合って、絶頂期に結婚するという感じではありません。結婚生活の中で理解し合って、徐々に愛情が深まっていくという感じです。ちょうど、こんなことざわのような感じです。

愛は結婚式が済んでから来るものだ。(ラップランド

むろん、恋愛か見合いか、どちらが良いとか悪いというわけではありません。ぼくとしては、今の結婚生活のほうが良かったというだけです。

恋愛結婚は、おおむね結婚当時が愛のピークで、その後下降して行って、残念な場合には離婚という結末になります。見合い結婚にも離婚がないわけではありませんが、どちらかというと結婚当時はそれほど愛情がなく、年を重ねるごとにだんだん愛が深まっていくように感じます。

直感を働かせて結婚するというと、なんだか軽々しいイメージがありますが、ぼくはそういう感じで捉えてはいませんでした。次のようなことわざにも共感していたからです。

戦いに行く前に一度祈れ、海に行くなら二度祈れ、そして結婚生活に入る前には三度祈れ。(ロシア)

これも解釈の仕方はいろいろあるでしょう。ネガティブな解釈であれば、「結婚っていうのは、戦争や荒海よりも危険なのだ」ということもなりましょう。でも、やはりぼくはポジティブに解釈しました。

「結婚生活というものは、好きとか嫌いとか、そういう軽々しいものではないのだ。戦争や荒海に出掛ける以上に真剣になって、神仏に祈るような気持ちで取り組むべきものなのだ」

直感を働かせるということは、いい加減に軽々しく判断するということではありません。むしろ、神仏に祈るとか、瞑想をするとか、水ごりをするとか、断食をするとか・・・そこまで行かなくても何らかの精神修養を積んだ上で、直感に従うということです。ざっくり言えば、「精神的努力によって培われた感性」に従うとでもいいましょうか。

もっと現代科学風にいえば、受信機材の整備を怠らず、常にアンテナの感度を良くしておくということです。必要な情報が飛んできたときに、的確に捉えることができるような精神状態にしておくというわけです。自分にふさわしい人がいつどこで現れるか分かりませんから、アンテナの感度は常に良好にしているべきだということです。特別、宗教的な行いをしなくてもいいのです。自分独自のやり方で、精神レベルの向上を目指していくことが大切だと思います。

そう考えると、単に好きとか嫌というティーンエイジャーの恋愛レベルの精神状態では、結婚するべきではないと思えます。結婚とは、神仏への祈りにまで至るほど、神聖で崇高なものだといえます。本来、結婚式というものは、そういうものだったはずです。そういう意味では、結婚するまで自分の精神を高めていく努力、人格を良くしていく努力は必要だと思います。

なぜなら、結婚をすると、子どもを生んで、家庭を築いていくという責任が出てくるからだと思います。こんなことわざもあります。

君の奥さんと結婚する日に、君の子どもとも結婚するのだ。(アイルランド)

好きな異性と結婚できて良かったです、はいおしまい、ではないということです。子どもを生んで、彼らを立派な人間に育てていくために結婚をするのだという意識です。とても高い精神レベルで結婚するように感じますが、そういう覚悟をしておくべきだということは確かだと思います。

血液型で相性を知ろうというような、非科学的で安易な方法論に頼らないでほしいものです。面倒くさくてもさまざまな人間関係を経験したり、いろいろな勉強したり、時には祈ってみたり座禅を組んでみたりしながら、精神レベルの向上を目指していきたいです。

水は、器の容積しか注ぐことができません。素晴らしい人に出会いたいと思ったら、まず自分の心の器を深く広くしていくことが肝要なのではないでしょうか。


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