ばかみたいと思ったID仮説論争


ID仮説とは、インテリジェントデザイン仮説の略語です。直訳すれば知的設計者仮説。「宇宙には知的な設計者がいる」という1999年に発表された仮説で、あくまでも「神」ではなく「知的設計者」という呼称を使っています。

ID仮説の内容は一定の科学的水準を保っています。「長い時間をかけて、偶然に偶然が重なって地球に生態系が誕生した」という進化論への対立軸になると考えられました。進化論もID仮説も完全に実証されているわけではありませんから、学生たちには両方の主張を学ばせるべきだと考える教育者が現れました。キャロライン・クロッカー教授です。

バージニア州ジョージメイソン大学のクロッカー教授は、生物の授業の中でID仮説を紹介しました。クロッカー教授は、「ID仮説が正しい」と教えたわけではありません。「こういう仮説もあるんだよ」ということを紹介したに過ぎません。それにもかかわらず、大学から謹慎処分を受けたのです。ID仮説の信奉者たちは怒りました。

おまけに、火に油を注ぐようにブッシュ大統領が「進化論を教えるなら、一緒にID仮説も教えるべきだろう」という主旨の発言を、公の場でしたものですから、論争はヒートアップ。大騒ぎになってしまいました。

アメリカはキリスト教徒(ピューリタン)が開いた国ですから、創造主である神を信じている人は多いです。進化論を正しいと信じているアメリカの学生は、わずか37%です(「ネイチャー」誌2005年4月28日号の調査結果)。日本人にはちょっと理解できません。そういうお国柄ですから、「生物の授業で進化論を教えるのならば、ID仮説も一緒に教えるべきだ」という声が上がることはうなずけます。

ただ、私はこの論争をながめていて、違和感を禁じ得ませんでした。「進化論を教えるのならば、ID仮説も一緒に教えるべきだ」と、両者を並列に扱っていることに対する違和感です。進化論とID仮説は、並列ではありません。

冒頭で、ID仮説は「進化論への対立軸になると考えられました」と、回りくどい言い方をしたのも、そのためです。本当は並列ではなく、土俵が異なる仮説なので、対立軸になりようがないのです。冒頭の文章は、「ID仮説の信奉者たちがそう考えた」と表現したかったのです。

進化論は起源について触れていません。何が原因となってビッグバンが生じ(宇宙そのものの起源)、その後生物がどのように誕生してきたか(生物そのものの起源)ということは、何も説明していないのです。「生物が、どのように形質を変化させてきたか」という経過を説明しているだけなのです。

かたやID仮説は、起源そのものについて言及しているのです。宇宙や生物は、知的設計者がデザインしたという起源です。

両者は土俵がまったく異なる仮説なのです。野球のピッチャーが投げたボールに対し、力士が四股を踏んで対抗しているようなものです。議論がかみ合わないのです。傍からみていて、たいへん失礼な言い方ですが、「ばかみたい」と感じていました。

サイエンスジャーナリストとしての意見を言うならば、ID仮説と進化論は矛盾しません。かたや「起源の仮説」、かたや「経過の仮説」だからです。

私は、進化論もID仮説も、両方とも学校で教えるべきだと思います。キリスト教徒の皆さん、進化論だって捨てたものではありません。今やダーウィンの仮説などは遺物として扱われています。現代の進化論では、「共生」、「他者のために生きる」というキーワードがバンバン飛び交っています。

「起源の仮説」のほうも、ID仮説以外にもたくさんあります。ID仮説ばかりを偏重していると、いつか足下をすくわれます。こういうものを全て教えればいいのです。勉強は楽しくなくちゃ!


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  1. ピンバック: 創造論裁判が明らかにした宗教と科学の線引き問題 – ∂世界/∂x = 感動

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