感情を理性でコントロールできない大人たちが体罰(暴力)に走る



なんだか最近は、体罰、暴力、セクハラ、パワハラなど、嫌な事件が多いですね。しかも、政治家、官僚、学校やスポーツの指導者など、地位のある人がこういうことをやらかしてばかりなので幻滅します。直近では体操界ですかね。

速見元コーチが会見 宮川への暴力行為を謝罪「処分は真摯に受け止める」 騒動後初の公の場

体操女子の宮川紗江(18)に対する暴力行為で日本協会からの無期限の登録抹消処分を受けた速見佑斗元コーチ(34)が5日、都内で会見を行い、宮川への暴力行為を「深くお詫びしたい」と謝罪した。
(中略)
「暴力行為はどういう理由であれ、決して許されることではないと深く実感している。処分は真摯に受け止め、妥当な処分だと思っている」と語り、「どういう小さな暴力でもあっても一切暴力を行わないことをここに誓います」と頭を下げ「宮川選手と東京五輪、その先に向け、一緒に再出発が切れる状況を頑張ってつくっていきたい」と語った。

この事件も一筋縄ではいかないようで、宮川紗江選手側は速見コーチを擁護し、日本体操協会の塚原千恵子・強化本部長、夫の塚原光男副会長のパワハラを訴えたりして、泥沼の様相を呈しています。第三者委員会が開かれるということなので、真相究明を待ちたいと思います。

ぼくがきょう考えてみたいのは、子育ての現場、教育現場、スポーツの現場などでしばしば問題となる体罰についてです。

速見コーチが言っているように、「暴力行為はどういう理由であれ、決して許されることではない」ということは、今の時代では常識です。それなのに、なぜ体罰をしてしまうのでしょうか。

その理由を一言で言ってしまえば、理性が感情をコントロールできないということになります。理性では「暴力はいけない」と分かっているけれども、感情がそれに優って、暴力に走ってしまうのです。

ぼくは子育ての中で体罰を行ったことは一度もありません。そもそも、自分よりも非力な子どもに暴力を振るいたくなる感情など湧きませんでした。

しかし、大声で怒鳴ったことは幾度かあります。怒鳴った後に自分の心を分析してみると、会社で嫌なことがあったり、仕事ですごく疲れていたり、妻の態度が悪かったり、といったことが重なり、フラストレーションがたまっているところに、子どもがいけないことをして怒鳴っていました。

小さい子にとっては、大人が怒鳴ること自体も恐怖に感じるとぼくは思っているので、普段怒鳴ることはありませんでした。それでも、上記のように感情が荒れているときには、つい怒鳴ってしまったというわけです。

体罰(暴力)を行う大人も、それと似たような感覚なのだと思います。そもそも体罰がいけないことだと知ってはいるものの、それほど激しく「いけない」とは思っていないのでしょう。体罰の心的基準が、ぼくが「怒鳴ってはいけない」と思っている程度なのでしょう。ですから、自分の感情が荒れているときに、対象者が思いどおりに行動を起こさないと、暴力が出てしまうのです。

人間は感情の生き物ですから、どうしても感情に支配されがちになります。理性のコントロール力が弱ければ、殺人にまで発展する場合もあるわけです。しかし、人間は感情の生き物であると同時に、理性を持っている生き物でもあります。感情と理性のバランスをうまく取れるような人間になりましょう。親になるとき、指導者になるとき、そのことを肝に銘じておくべきだと考えます。


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