「上の指示ばかりに気を遣う、自己保身型組織人にはなりたくありません」で書いた内容の続きです。長男のチームは予選を通過しましたが、入賞は逃しました。
イベントが終了した夜、学生たちと父兄を招いて当該団体が慰労会を開催してくれました。私は仕事の都合でイベントにも慰労会にも参加できませんでしたが、妻は参加してきました。
長男と一緒に帰宅した妻が、あきれ返っていました。慰労会が始まる前の会場で、例のイエスマン団体職員が上司である地方組織の長に怒鳴られていたというのです。ぼくは驚いて尋ねました。
「えー! 上司は優勝を目指していたと聞いていたから、まさか入賞すらできないことに腹を立てたのか」
「そうじゃないわよ」
「良かったなあ。ボランティア系団体の偉い人が、そんな理由で怒鳴っていたなんていったら、幻滅だもんな」
「慰労会がなかなか始まらないものだから、学生たちがざわついちゃって、会がはじめる前にペットボトルを開けて飲む子たちまで出ちゃったの。で、その場を仕切るべき●●さん(イエスマン団体職員)が怒られちゃったわけ」
「そりゃあ当然だわな。やっぱ、あの人ちょっと冴えないね」
それから3日後、イベントの反省会をして帰宅した長男が、父兄宛てのプリントを持ってきました。イエスマン団体職員が書いたもので、次のような文言があってビックリ仰天しました。
今後、子どもさんが公的な場で騒ぐことがないよう、ご家庭での教育をしっかりしてくださいますよう、お願いいたします。
後から妻にも「あなたのあんな怒った顔を見たのは、結婚生活22年間で初めてよ」と言われたくらい、普段は温厚なぼくも怒りが収まりませんでした。そのまま車を飛ばして当該団体に乗り込みました。
しかし、呼び出したのはイエスマン団体職員ではなく、上司の地方組織の長です。組織人に反省を促すには、その上長に文句を言うのに限ります。ぼくは怒ってはいましたが、理系なのでそのくらいの理性はしっかり残しておりました。そうしないとマジで危険だもんね。
「この文章は何ですか。慰労会で子どもたちが騒いだのは親の責任ですか。そもそも、●●さん(イエスマン団体職員)がその会を仕切る役割なんだから、ご本人が場を鎮めればいいだけのことじゃないですか。自分の責任を棚に上げて、親のせいにするのは卑怯というのですよ。あなた、もっと部下をしっかり教育してくださいね。そんな体たらくで世のため人のためのボランティア団体だなんて、ちゃんちゃらおかしくて、ケツから鼻くそが出ますよ」
上司氏は、ぼくがこのようなことを言うのを(もうちょっと乱暴な言葉だった思うけど、「もうちょっと」というか、かなりかな・・・)、申し訳なさそうに聞いておりました。うーん、ぼくもモンスターペアレントの仲間入りかなあ・・・。
さらに3日後、団体の活動から帰宅した長男が言いました。
「●●さん(イエスマン団体職員)さん、人事異動になっちゃったよ。庶務課だって。トイレに入ったら、電球取り替えてた。かわいそうだなあ」
「全然かわいそうじゃない。そうやって反省したらいいんだ。同情なんかするな」
そうすると、また長男にしてやられました。
「同情なんかするわけないじゃん。そんなことしたら、彼のためにならないでしょ」
「彼」ね・・・。50過ぎのおやじが17の若造に「彼」と呼ばれちゃうようでは、普段からどんな目で見られていたか分かるというものです。
上ばかりに気を遣っていると、主体性を失う人間になってしまいます。主体性のない人間なんて、クリープだけのコーヒーみたいなものです(もはやコーヒーとは呼ばない!)。自分の主義、主張、自負、矜持などをしっかりと持って生きましょう。
以前からの続きで、楽しく読ませていただきました^^
上に主張するというのはある意味、覚悟のいることですが俯瞰的に見て正しいと確信できたら行動しないといけませんね。
トップダウンのみだと、組織は盲目的団体になってしまうように思います。
学びになりました。ありがとうございます。
トップダウンだけですと、どこかの国のように国民を平気で粛清するような暗く冷たい組織になります。ボトムアップだけですと、無秩序きわまりない無政府状態のような組織なります。トップダウンとボトムアップのバランスが大切ですね。
なるほど。そのような結末だったのですね。
「彼」ね・・・。50過ぎのおやじが17の若造に「彼」と呼ばれちゃうようでは
私も50代半ばを過ぎましたが、なんだか「彼」に同情します。
17の若造は確かに正しくと思いますが・・・・。
現場を知らないので何とも言えないし、知っていれば管理主様と同じ感情になっているかも知れませんが。何とも言えないこの気持ちは何でしょう。
「彼」の気持ちはわかりませんが。いつも胸をすく爽快感を得るこのコラムですが、今回ばかりは・・・・・。
つまり、50過ぎのおやじが・・・・・って、自分もどこかで言われているのだろうなあ…と感じたからかもしれません。
>自分もどこかで言われているのだろうなあ
他人の目を気にしてばかりいると疲れますけど、まったく気にしないのも良くないですよね。自分もどこかで○○と言われている、思われている、という認識を頭の片隅に置くことは重要だと思います。つまり自分を客観視するということですね。
しかし同時に、他人からどう言われたって、どう思われたって、自分の内面世界(心の世界)まで他人が入り込んでくることはできない。自分の心というか魂というか、自分の本質的な部分は決して他人が干渉することはできない。自分は自分だ。こういう認識も、一方で頭の片隅に置くことは重要だと思います。つまり自分を主観視するということですね。
主観と客観のバランスが大切ですね。
いやまぁ、子供の教育で一番重い責任を負っているのは親なのだから、[公共の場所で騒がないように親が教育する事]自体は間違ってない。
ただ、今回は完全に自分の責任逃れに言っちゃってるのはダメだねw
というか、別に重要で厳粛な場でもない、せっかくの[慰労会]なのに、司会進行が遅れた程度で怒鳴りつける上も馬鹿だし、
その程度のつまらない問題の責任を、文書におこしてまで子供や親に押しつける奴も馬鹿だ。
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