被害者を優先に考えて、まだやるべきではなかった高畑淳子さんの記者会見


紺碧の海きょう、女優の高畑淳子さんが記者会見を行いました。息子で俳優の高畑裕太氏が強姦致傷の容疑で逮捕されたことを受けての謝罪会見でした。

率直に言わせていただくと、この記者会意見はまだやるべきではなかったと思います。理由は簡単で、被害者を優先に考えるべきだからです。高畑さんは会見で、被害者に謝罪したいが、まだ会うことができていないと言いました。従って、被害者がこの会見を見てどう思うかということが分からないということです。そういう段階で加害者側の人間が、一方的にメディアの前で語るのは決してよくないです。

事件が事件なだけに、被害者の心はかなりダメージを受けています。当然、今の段階で容疑者である裕太氏を許すことなどできないはずです。むろん、母親である高畑さんが事件に関わっているわけではありませんが、それでも加害者側の人間であることには変わりはありません。会見では裕太容疑者に「どんなことがあっても私は母親だから」と言ったといいますが、そういう話を被害者が聞いたら気分がいいものではありません。

親の心情としては理解できます。ぼくが同じ立場だったとしても、子どもにはそう言うと思います。また、成人した子どもの不祥事について、親が記者会見をして謝罪するのはいかがなものかという意見もありますが、やはりぼくが同じ立場だったら会見でも何でもして謝りたいと思うでしょう。親の心情というのは、そういうものです。

ただ、この事件には被害者がいます。しかも、女性にとっては極めて卑劣でショッキングな犯罪の被害者です。だから、謝罪するにしても、まずは被害者が最初であるべきです。仕事で迷惑を掛けた人には謝ることも当然ですが、それは個別にすればいいこと。メディアの前で謝罪するのであれば、その前に被害者へ謝罪しているべきです。

そして、被害者に記者会見をしていいか聞いて、嫌と言われればやらないことです。まずは被害者の意向に沿うようにするべきです。被害者としては、加害者側の論理ばかりがメディアで報道されることは腹立たしいことだからです。被害者はメディアの前で、高畑さんのように主張することすらできないからです。加害者側が一方的にメディアを独占することは、決して好ましいとは思いません。

さらに言えば、被害者から真に許してもらえるには、大変な時間がかかるということも理解するべきです。仮に裕太容疑者が刑に服して、出所してきたとしても、それで被害者が許してくれるかどうかは別問題です。社会的には罪を償ったとしても、被害者の心情の世界はそんなことで癒されるものでもありません。

加害者側が大変なのは、これからです。もしかしたら、一生恨まれ続けるかもしれないのです。許しの主体は加害者ではなく、被害者です。加害者は、許しということについては完全に受動的なのです。「これをすれば完全に許される」などという方法などないのです。許すかどうかは、一方的に被害者の心に委ねられるのです。被害者から許してもらえるまで、加害者はずっと恨まれ続けるのです。そういうことを裕太容疑者は覚悟してこれからの人生を送るべきですし、母親の高畑さんもまたそういう息子をサポートするべきなのです。

そのような長い贖罪の道が待っているのですから、今回のように性急な記者会見は控えるべきでした。今後は慎重に事を運んでほしいと思います。


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