社会人になってもしばしば遅刻する人は、いくら注意されてもなかなか直りません。その最大の原因は、約束を守る習慣が身に付いていないからです。この習慣は、子供のころに養っておくべきものです。わが子をきちんと教育しないと、将来、社会に迷惑をかけることになります。
子どもに約束をさせる場合、約束が果たせなかったときの「罰」を子ども自身に決めさせることが大切だと思います。そうすることで、子どもの主体性と責任感が育まれるのです。親からルールを一方的に押し付けているだけでは、いつまでたっても子どもの内面は成長しないと思うのです。
長女が、まだ小学二年生のころの出来事です。「夕食前に宿題を終わらせる」という約束を、長女は破ってしまいました。まだ保育園児であった2人の弟たちに誘われて、つい遊んでしまったのです。約束を破った罰は、「夕食を食べない」ということでした。自分で決めた罰なので、皆が食事をしている間、長女は必死に耐えていました。
そのとき、驚くべきことが起こりました。普段はモリモリ食べる弟たちが、「お姉ちゃんにあげる」と、ご飯とおかずを少しずつ残したのです。
ぼくは「駄目だ」と言い放ちました。一家の規律を子どもに変えられては、父親の立場がなくなってしまいます。一家の主は子どもではなく、父親なのです。それは身を持って示さなければなりません。弟たちは、とても悲しそうな目で私を見つめました。ぼくは、「駄目だ」と繰り返すだけでした。
でも本当は、ぼくは心の中で素晴らしい姉弟愛に感動していました。思わず涙がこぼれそうになりました。目にたまった涙を子どもたちに発見されないよう、そそくさと風呂に入りました。
ぼくの入浴中、妻が長女に食事をとらせたことは言うまでもありません。子どもを許し、いたわるのは、母親の役割なのです。父親はあくまでも威厳を保っているべきです。泣きたくなったら風呂やトイレに駆け込んで、じっと我慢しましょう。
規律と許しを織り交ぜ、日常生活をドラマチックに演出すれば、子どもたちの人格は立派になると思います。厳しい父親、優しい母親という、日本の古き良き伝統を復興しましょう。
「母はお腹で子を育て、父は背中で子を育てる(背中で姿を示す)」といったニュアンスの標語をどこかの市町村が出していました。(どこか定かではありません、、)
明確な親としての「立場」というのをしっかりと持っているべきだと僕も感じます。
どこの市町村でしょうかねえ。なかなかセンスがあります。
半年程前のネタに書き込んですみません。実は、ここには書ききれないぐらいの中身で、この一年程、妻との仲が悪くなっています。悪くなっていると言っても、悪くなっているのは、家事や育児の内容なんですけどね。そこで、「優しい母親、厳しい父親」というフレーズを検索してこちらにたどり着きました。結構、共感する内容が多くありました。また、覗きに来ますね!
匝瑳宍粟さん(何て読むのかな?)。初めまして。コメントをありがとうございます。
家事や育児って、いろいろもめますよね。ぼくも結婚当初は結構ありました。よく原因を精査すると、大抵は「お互いさま」なんですけどね。
要は、相手に「こうあるべきだ」とか、自分が「こうしたい、こうされたい」という、いわば「自分の思い」が先立っているときにもめるものです。
だから、「自分の思い」よりも「相手の思い」を思う心の余裕ができると、大抵は解決します。
また遊びにきてください。