自己責任論・使命論を盾に危険地帯に入るジャーナリストが表明しておくべきこと



40カ月間、シリアで反政府勢力に拘束されていた安田純平氏が解放されて、メディアではジャーナリストの自己責任論・使命論が盛んに論じられています。

特に安田氏がもともと日本政府に批判的であったため、彼への批判が高まっています。政府が渡航を禁止している危険地帯に入って、そこでテロリストに拘束され、結局政府が解放のために苦労しているわけです。彼は以前から政府を批判していたわけですから、虫が良過ぎるという批判は当然です。

しかも、解放されて日本に向かう飛行機の中で彼が語った言葉も、その批判に拍車を掛けています。

「地獄だった」安田純平さん機内での主なやり取り

いや、とにかく荷物がないことに腹が立って、ということと、トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして。

この期に及んで「日本政府が何か動いて解放されたかのように」思われるのは「避けたかった」と言うのですから、反感を買うのは致し方ありません。

比較的マイルドな批判としては、危険な所に行くという意味では同じであるアルピニスト・野口健さんの指摘が、バランスが取れていて的を射ていると思いました。

野口健(アルピニスト)

安田さんのメッセージに『日本政府に対し「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないと』とありますが邦人保護は国にとっての責務。事が起きてしまえば「自己責任だから」では片付けられない。ジャーナリストとして現場に拘る姿勢は強く共感。しかし自己責任についてはもっと謙虚であるべき

アルピニストは危険な山登りをするために、装備、気象のチェック、山岳ガイド、本人の健康など、入念な準備をします。それでも不測の事態が起きて遭難することがあります。そのときは救援隊に助けてもらうことになりますが、その費用は当然アルピニスが負担することになります。起きてしまった後の責任は自分で負うということが、自己責任です。

ジャーナリストは、その自己責任に加えて「伝える使命がある」という使命論を力説する人もいます。テレビ朝日解説委員の玉川徹氏は、それを基に安田氏を英雄として迎えよと言い、安田氏を批判する人を批判しています。

安田さん解放に「英雄として迎えないでどうする」 テレ朝・玉川徹氏、「自己責任論」を批判

「たとえて言えば、兵士は国を守るために命を懸けます。その兵士が外国で拘束され、捕虜になった場合、解放されて国に戻ってきた時は『英雄』として扱われますよね。同じことです」と、「兵士」を引き合いに出し、安田さんが解放されて帰国するとなった場合について、
「民主主義が大事だと思っている国民であれば、民主主義を守るために色んなものを暴こうとしている人たちを『英雄』として迎えないでどうするんですか」
と主張した。

ぼくは、日本には言論の自由が保障されているので、安田氏が政府を批判しようが、何を伝えようが自由だと思います。そして彼は、危険な所に社員を行かせることができない大手メディアに代わって、あのような仕事に使命感を感じてやっているのでしょうから、その点も特に異論はありません。

ただし、玉川氏の主張である「英雄として迎えよ」というのは論外です。そもそも安田氏は兵士ではありませんから。民主主義を守るために仕事をしているつもりでも、拘束されて、身代金を払ってしまったら(確定ではないですが、ほぼ払われている)テロリストの活動を利するようなってしまっては、民主主義にとってはかえって害悪です。日本政府にも、貴重な税金を使って動いてもらっています(身代金以外にもスタッフの活動費など)。

結局、問題は、事が起きてしまった後の責任の負い方だと思います。アルピニストにならえば、安田氏は自身の解放に掛かった経費を負担すべきでしょう。特に政府を批判していた人間なら、なおさら政府に貸しをつくっておいては、今後の言論活動にも説得力がありません。

もしジャーナリストを引退するなら、経費負担は免除してやってもいいとぼくは思います。その代わり、政府および税金を払っている国民に謝罪するべきでしょう。経費負担免除・謝罪・ジャーナリスト引退はセットだと思います。

また、今後も使命感あふれるジャーナリストが危険地帯に行くこともあると思うので、事前にこれだけは表明しておいたほうがいいと思うことを挙げておきます。

それは、自分がテロリスト等に拘束されても助け出そうとしなくてよいこと、身代金など払う必要もないことを、書面や動画で表明しておくことです。そして、そのことを家族にも了解してもらっておくことです。

そうすれば、仮に彼(彼女)がテロリストに拘束されても、家族がその意思を政府と国民に伝え、「テロリストに屈せず、放っておいてください」と明示すればいいのです。

むろん、それでも政府には邦人保護の義務がありますから、解放に向けた活動はするでしょう。それでもそういう意思が分かっていれば、テロリストからの要求に対して強く出ることができます。

アルピニストが遭難したときに、どうしても救援が困難と判断した場合には断念することがあります。同様の選択肢を政府に与えてあげられることは、政府が渡航を禁じている場所へ「自己責任」で行く人にとっての、せめてもの誠意だと考えます。


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