「安心・安全」は宗教と科学の関係


菅首相は、東京オリンピックを開催する前に「安心・安全な大会を実現する」と繰り返し述べていました。しかし、その説明に納得した国民は多かったとは言い難いでしょう。

なぜなら、安心したから安全というわけではないし、安全だから安心するわけでもないからです。安心であり、かつ安全という状態をつくり出すことは、実は至難の業に近いのです。そんなに難しいことを軽々しく言うものだから、多くの国民は納得しなかったわけです。

なぜ「安心・安全」を両立させることは難しいのでしょうか。それは、究極的に「安心・安全」は宗教と科学の関係だからです。宗教と科学を両立させることは至難の業ではないですか。それと同じなのです。

安心が宗教、安全が科学です。

科学的に根拠がないことでも、宗教の世界では安心できます。例えば、幸福の科学という宗教団体では、「信仰ワクチン」と称し、信仰していればウイルスに打ち勝つと言っています。

新型コロナウィルスから身を護る”信仰ワクチン”とは

大川隆法総裁は、法話「免疫力を高める法」(2020年2月15日)のなかで、(中略)「宗教的な”法力によるワクチン”を作っておこうと思います」 と言及しています。
(中略)
法話「免疫力を高める法」の中では、 「明るく建設的に考える」「正しい信仰を持つ」といった精神態度を持つことで免疫力を高め、ウィルスに打ち克つ力を得ることができる、とアドバイスされています。

できるかぎり、恐怖や不安ではなく、神仏を信じ、明るさ、積極的な考え、希望、愛、勇気などで心を満たしていく事が大切です。

ここには科学的根拠は全くありません。正しい信仰を持てば、免疫系にどのような物理的な作用があり、ウイルスに対する抗体を作るのか、何の説明もありません。それでも、幸福の科学の信者さんたちは、この教祖さまのお言葉で「安心」するわけです。

もし菅首相が、日本国民を自分の信者にできれば、何の科学的根拠を示さずとも、皆に安心してもらえたはずです。しかし、日本国は宗教団体ではありませんので、それは無理ですね。

ですから、もう一方の「安全」の説明が重要だったわけです。つまり、しっかりとした科学的根拠を示して、「オリンピックを開催しても安全です」と言い切っていたら、そこそこ安心する人も増えたでしょうし、安心まではしなくても納得する国民はもっと多かったと思います。

菅首相 五輪は「平和の祭典」「壁乗り越え努力、世界に発信」

記者 東京五輪・パラリンピックを開催すべきだと考えられる理由、感染対策ではなく開催すべきだという理由をどのように考えられるか、これをうかがいたい。

首相 まさに平和の祭典で、一流のアスリートが東京に集まって、スポーツの力で世界に発信していく。さらに、さまざまな壁を乗り越える努力をして、障害者も健常者も、そうした努力をしっかりと世界に向けて発信していく。そのための安心安全の対策をしっかり講じたうえでやっていきたい。

何の科学的根拠も示していないです。安全であることは全く示していません。「信仰ワクチン」が「平和の祭典」に変わっただけ。これでは、宗教団体ではない日本の国民は納得しません。

コロナウイルス感染症のワクチンでは、全く逆の現象が起きています。ワクチンが安全かどうかという科学的根拠は示されていません。なにせ、通常5~10年かけて臨床試験を行って安全性を確認していく作業をすっ飛ばしているわけですから。現在、全人類を相手に臨床試験をしている状態なので、とても科学的に安全とは言えません。

ところが、なぜか多くの人が「安心」してワクチンを打っています。まさに宗教です。テレビに出ている偉そうな人が「安全ですよ」ということを信じて、われ先へ打ちに行っています。理系のぼくにはこの現象も理解不能です。

いやあ、宗教と科学の関係というものは、本当に難しいものですね。


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