霊を科学する(4)クオリア問題



随伴現象説を脅かす第3の難問は、クオリア問題です。

私たちの心は、色を見た時に感じる鮮明さ、お湯の熱さ、氷の冷たさ、様々な種類の痛み、味覚、赤ちゃんをかわいいと感じるなどの、いろいろな質感から構成されています。このような質感をクオリアといいます。このクオリアは、心の最小単位であると考えられています。原子が集まって物質が構成されるように、クオリアが集まって心が構成されるというわけです。

では、クオリアは方程式で表せるのでしょうか? 「かわいい」ということが方程式になるのでしょうか? 認知脳科学者は「方程式で表せる」と、初めは楽観的でした。しかし、多くの哲学者からの指摘によって、そう簡単ではないことが判明したのです。これもまた、とても哲学的で難解な論説になるので、たとえ話で説明することにします。

あなたが極めて優秀な認知脳科学者であるとします。しかし不運なことに、生まれつきあなたの網膜の中には、白黒を見るための桿体(かんたい)だけがあり、色の識別を行なう錐体(すいたい)が全くありません。つまり色盲です。従って、あなたは生まれてからずっと白黒の世界に住んでいて、他の色を全く見たことがないのです。

しかしあなたは極めて優秀な認知脳科学者なので、脳内の色覚に関する全ての仕組みを解明しようと努力し、正常な色覚を持つ私を実験に使います。私に10万分の6cmの波長の光を見せたら、私は「赤」を認識します。10万分の5cmの波長の光では「緑」と認識します。その他も様々な波長の光で実験を繰り返した結果、あなたは「脳が色覚を認識する全過程の方程式」をつくることに成功したとしましょう。

満足したあなたは、私にその方程式が意味することを説明しながら、「これがあなたの脳の中で起きていることですよ」と告げます。

しかし、方程式の意味を理解した私は、こう異論を唱えるのです。

「確かに脳の中では、このようなことが起きているのでしょうね。しかし私は、このようなことが起きているのと同時に、赤い色を感じているんですよ。その赤い色の感覚は、方程式のどこにあるのですか?」

「その感覚とは、どんなものなんですか?」とあなたは聞き返します。

しかし私には、私が赤い色を見た時に受ける感覚、つまりクオリアを、あなたに説明できないのです。なぜなら、生まれてから一度も色を「見たこと」がないあなたには、赤がどんな感じかを理解できないからです。すなわち、色盲であるあなたが「赤」を理解するためには方程式をつくるしか手段がないのですが、その方程式をもってしても、私が感じている赤というクオリアを、あなたは決して感じることができないということなのです。

従って、脳がどのように機能するのかという「物理学的な事実」を解明したとしても、クオリアで構成されている心は理解できない、といえるのです。つまり、脳の機能を方程式で表すことができても、その方程式の中には、心の最小単位であるクオリアは含まれていない・・・。すなわち、クオリアは方程式では表現できないという結論が導かれるのです。


霊を科学する(4)クオリア問題” へのコメントが 2 点あります

  1. いつも 為になる エッセイをありがとうございます。

    以前、小学校で行われているパソコンを使った授業支援をしていた時の事を思い出しました。

    小4のクラスに「全盲(瞳が欠損)」の男の子がいまして、担任教諭から「遠足に行った作文に『気持ちの良い青空が広がっていました』という文章を書いてくるのですが『本心』なのかふと疑問に思ってしまうのです」と言われました。当時は男の子が『点字』で作文を書き、母親が『清書』して提出していたのです。どうしても作品の提出は翌日でした。

    パソコンを使った国語の授業で物語の「感想」をワードで書く授業を行いました。入力はキーボードによるローマ字入力です。ここで男の子は点字ではなくて初めて他の子と同じ所作で「感想文」を書き同じ時間に提出することができました。

    担任の先生は「同じタイミング」でその作品を読めたことが嬉しいと言われました。ここからは私の邪推ですが、先生は男の子の点字の作品がお母さんによって清書されるときに変性しているのではないか・・・・と感じていたのだと思い「青空が気持ちがいい」という文章ではなくて(極端ですが)「ボクには青空がわからないがこのすんだ空気はとても美味しい」みたない文章が彼の本心では?と考えていたのではないかと。男の子は普通であれば盲学校へ通学しますが両親の願いで通学区の学校に通っていて学校生活は普通で掃除も一緒にやり、バケツをもち手を叩く友達に導かれて水を汲み替えていました。授業支援の時に私は彼への自己紹介で彼の手を取りメガネを触らせて「メガネをかけてます」とやったことを覚えています。

    今回のエッセイで『生まれてから一度も色を「見たこと」がないあなたには、赤がどんな感じかを理解できないからです。』・・・「赤」を見た時の「感じ」は人それぞれだと思うのですが、色盲の科学者には黒と赤の「感じ」は違わないのかなあ・・・と疑問にも感じました。

    数年後、私の母校である高校で彼(男の子)に偶然再会したことの感動は今も鮮明に残っています。

  2. コメントありがとうございます。

    今回は、正常者と色盲という、明らかに「感じ方」が違うであろう事例を用いました。論を分かりやすくするためです。

    私の文章では、正常な視覚を持つ人は、赤を見たら皆同じ「感じ方」をするように取られるかもしれませんが、実はそれも違います。

    この「感じ方」のことを、哲学ではセンスデータといいます。

    同じ正常者でも、センスデータが「全く同じ」である保証はありません。私とkanzukezさんは、同じ赤色を見ても、違ったセンスデータ(違った赤い感じ)を持つかもしれません。

    例えば、私たち日本人は「雪はみんな同じ白」と思っていますが、一生を雪の中で過ごすエスキモーは「いろいろな白さの雪」が存在します。つまり、同じ雪を見ても、日本人とエスキモーは「違う白」を感じています。

    センスデータの話だけでも面白いのですが、今回の「霊界を科学する」というテーマとずれてくるので割愛しています。また機会があれば、こっちも書いてみましょう。

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