公共の場で子どもにギャン泣きされたとき、あなたは他人の後に入ったトイレのように感じますか?


公共の場で子どもがギャン泣きしたら、どう対応するのが正解?」という興味深い記事を読みました。22歳から34歳の働く女性234人に対して、『マイナビウーマン』で2014年4月にWebアンケートを取ったものです。ちょうど幼い子を育てている世代の回答なので、それぞれ現在進行形のリアリティがある内容でした。でも、「大事なことが抜けているなあ」と感じました。ちょっと心配です。

まず、社会への礼儀ありき

家族
ぼくは記事を読んだだけで、234人の回答全てに目を通したわけではありません。もし、ぼくが指摘する「大事なこと」に触れている回答があったら、すみません。最初に謝っておきます。

記事では、回答を5つのグループに分けていました。

■「コラ!」としかって、身を持ってダメなことをわからせる
■なぜ無理なのか、しっかり理由を説明する
■ご機嫌を直してもらうために、やさしい言葉で諭す
■これもひとつの向き合い方? 放置する
■子どもと向き合うことが何より大事

これらはどれも「あり」なのだと思います。子どもの性格も、親の性格も千差万別ですから、正解はないでしょう。それぞれの方法の根底には、「子どもに何がしかを学んでもらいたい」という思いがあります。そういう思いがあれば、OKです。方法は二の次です。

ぼくが「大事なこと」といっているものは、社会に対する礼儀です。公共の場で子どもがギャン泣き・・・つまり大声で泣き喚いているのですから、多くの人に迷惑をかけているわけです。ですから、親はまず周囲の人に「うるさくして申し訳ありません」と謝るべきなのです。

子どもは、自分が公共の場で騒ぐことで親が謝る、という姿を何回か見るうちに、社会への礼儀を学んでいくのです。社会の中の自分、社会の中の自分の家庭、という位置を学んでいくのです。これを忘れると、自分だけ、あるいは自分の家族だけ、という自己中心な個人や家庭ができ上がってしまいます。

他人の心と自分の心を1つにする

地球と人々
ぼくがサラリーマン時代も、通勤電車の中でギャン泣きしている子どもに遭遇したことがあります。残念ながらお母さんは一切周囲に謝ることはなく、子どもをしかっていました。周囲の人たちも、舌打ちをしたり、露骨に顔をゆがめたり、隣の車両に移動したりしていました。さすがに「うるせえ」と文句を言う人はいませんでした。ここらへんは、おとなしい日本人の特性でしょう。

でも、お母さんとしたら文句こそ言われなかったとしても、舌打ちや顔をゆがめられたり、移動されたりしたら辛いでしょう。「うるさい」と言われていることと同じです。ただでさえ、公共の場で子どもが泣き止まなくてパニックに近い心理なのですから、それに追い打ちをかけるような周囲の言動も好ましくありません。

でも、疲れ切ったサラリーマンたちからすると、電車の中は体を休めることができる貴重な場なのです。眠っている人も多いです。つかの間の休息を邪魔されるのですから、文句を言いたくなるのは当然です。おとなしい日本人なので声には出せず、より陰湿な意思表示をしてしまうのです。

つまり、どっともどっちなのです。周囲の大人たちは、そもそも幼い子どもなんて人格も理性も未熟な存在なのですから、場所を選ばず泣き喚くものだと理解し、許容してあげるべきなのです。お母さんも何か事情があるから、仕方なく乗客が多い通勤電車に幼い子どもを連れて乗ったのです。周囲に迷惑をかけるために乗車しているわけではありません。

「大変だよね」と広い心で泣き声を受け入れてやったらいいのです。それができず、舌打ちしたり、露骨に顔をゆがめたり、席を移動したりするやつらは、おこちゃまレベルです。泣き喚く子どもの理性と大差はありません。

お母さんの方は、周りに迷惑をかけていることを自覚し、真っ先に周囲に謝るべきです。それが子どもに対する社会教育であることは述べた通りですが、もう1つは周囲の心をつかむ手段でもあるのです。

人間って、謝られたら嫌な気持ちはしません。つまり、心が通じ合うのです。そうなれば、もう子どもの泣き声なんて気にならなくなります。

心が通じ合うということは、自分と同化するということ同じです。お母さんに丁重に謝られてしまったら、もうそのギャン泣きしている子どもは、自分の子どものように感じます。「うるさい」という感情よりも、「どうしたのかな、大丈夫かな」という感情の方が強くなります。つまり謝罪は、周囲を味方につける手段でもあるのです。

たとえはすごく悪いですが、他人が大便をした後にトイレに入ると、臭くて臭くて鼻をつまみたくなります。水を流し忘れて大便が残ったままだったら、吐き気すら催すこともあります。自分と他人の大便は同化していないからです。

しかし、自分がトイレで大便をしているときは、それほど臭いとは感じません。吐き気なんかしません。それは、自分と大便が同化しているからです。自分と同化しているものは、嫌なことを感じなくなるのです。

他人の心と自分の心を1つにすること、心を通じ合うようにすること。これこそトラブルを解消する最良の手段です。世界平和なんて、たったこれだけでできるものなのです。なんで、こんな簡単なことができないんだろう。


“公共の場で子どもにギャン泣きされたとき、あなたは他人の後に入ったトイレのように感じますか?” への2件の返信

  1. こういう類の調査記事を見ると、現代社会に基礎的コミュニティ意識が欠落してるように感じます。
    社会は多数の人達が共有する生活空間ですから、日常ちょっとした迷惑行為はお互い様だと思います。
    いざと言う時、各人が周囲に自然と謝ることができれば、その場の雰囲気を和ませ、大目に見てくれる配慮も期待できるでしょうね。
    大便の話は、非常に分かりやすい例えだと感じました。
    自他の分離を如何にして同化のように感じ取れるのか・・・・・
    家族や友人など、普段親しい関係の中で育む感性なのかもしれませんね。

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