公人は覚悟をしてください


最近、公人の「個人の問題」が注目されています。安倍首相周辺の人がセンシティブな発言をすると、官邸は「個人の発言」と言って逃げます。前東京都知事の猪瀬さんや、みんなの党代表の渡辺さんは「個人の借入金」と言って逃げます。確かに、公人だって個人的な意見はあるでしょうし、個人的に熊手を買って縁起を担ぎたくもなるでしょう。だからといって、周囲から問題点を指摘されたときに、「個人の問題」としてブラックボックスに入れてしまうことはNGであると、ぼくは考えます。

公人の定義って?

公人
公人の定義は難しいものです。法律で定められているわけでもなく、「なんとなく」みんなが「あの人は公人でしょ」と決めてしまっているような感覚もあります。「そんなことあるもんか」と反論する人もいるかと思いますが、法律で定められていないのですから民主主義的な合意形成で「なんとなく」決まっていると言っても、それほど間違いではないと思います。

実は以前も書きましたが、ぼくはネット上で名誉毀損をされて、民事訴訟をした経験があります。被害の1つに、ぼくの実名と住所をネット上にばら撒かれたということがありました。誰かが住居まで来て危害を加えることはなかったのですが、ネット上の情報は世界中の人々が閲覧可能なので、いつか誰かが住居に来て、ぼくや家族に危害を加える可能性はあるわけです。ぼくも家族もたいへん怖い思いをしました。

初めは警察に相談しましたが、実害がないので「そのサイトに削除依頼を出していくしかないですね」と門前払いです。そんなことを言われても、何十ものサイトや掲示板に書き込まれているわけですから、1つ1つ削除依頼を出していくのはたいへんです。むろん、最初は1つ1つ削除依頼を出していましたけれども、すべてが削除に応じてくれるわけでもありません。しかも、日々違うサイトにも書き込まれていくのですから、イタチごっこです。だから仕方なく裁判をすることにしたわけです。むろん、住所公開だけではなく名誉を毀損する記載もたくさんあったからです。

話が逸れましたが、この裁判における論点の1つに、「一企業の社長(代表取締役)は公人か否か」ということがあったのです。被告代理人(犯人の弁護士)は、「社長は公人なのだから、住所を公開したことはプライバシーの侵害にならない」と言って譲らなかったのです。プライバシーをどれだけ侵害したかということで損害賠償額も変わるので、そうやって争うのですが、こっちとしたら「何を言ってるんじゃい」と怒鳴りたい思いでした。

しかし、会社の法人登記簿には社長の住所が記載され、会社の所在地を管轄する法務局に行けば誰でも閲覧できます。つまり社長の住所はすでに公開されているわけです。「だから社長も公人なんですよ。住所は誰に知られてもよいという覚悟で、社長になっているわけですよ。すでに誰でも見ることができた情報を、誰でも見ることができるネットに書き込んで何が悪いんですか」という主張でした。

結果としては、裁判で削除命令を出してもらえることになったのですが、それまでに2年以上の月日が必要でした。だだし、裁判所が「一企業の社長は公人ではない」と判断して削除命令を出したわけではありません。名誉毀損で削除命令を出したのです。名誉毀損の書き込みに住所と名前も一緒に入っていたから削除されたというだけで、「社長の住所をネットで公開してはいけない」という判断はなかったのです。

ちなみに、全国の社長さんの多くは同じような心配がありますから(自分はともかく、家族について心配します)、会社法を改正して「法人登記簿の代表者の住所を非公開にする」ということが2009年に検討されていたこともありました。デメリット(例:犯罪組織などが法人格を名乗りやすくなること)もあるので、まだ改正されていないようですが…。

公人の道は険しいです

山道
前置きが長くなってしまいましたが・・・定義は曖昧のままで「公人」という語を使わせていただきますと・・・公人といわれる人は、なんでもかんでも「個人の考えだ」、「個人の問題だ」、「プライバシーを尊重せよ」とは主張できないことを「覚悟」しておかなければならないということです。もっと突き詰めていえば、公人でいる間は「私人としての言動は慎むべき」だとすら思うのです。

特に国会議員や公務員などは、絶対にそうあるべきです。国民の生命・財産を守るために、国民の税金をお給料としていただいて働く人たちだからです。諸外国からも、「日本国の代表」だと認識されています。そういう人が「個人的な発言」をして国益に反する(国民の生命・財産を脅かす)ようになったら、お給料に見合った仕事をしていないことになります。

個人的な意見を言いたければ、あるいは個人的な行動をしたいのであれば、公人をやめて私人になったらいいのです。猪瀬さんだって、都知事になる前は良いことをたくさん言っていました。彼の本は素晴らしいものが多かったです。そういう人は言論で食っていけばいいのであって、公人として生きるべきではなかったのだと思います。

ぼくも「従軍慰安婦問題って、なんかなあ~」と首をかしげることもあるので、同じように疑義を呈する著名人にシンパシーを感じることもありますが、国会議員やNHKの会長が同じように言っていたら、「おいおい、あんたが言ったらダメでしょう」と思います。どうしても言いたいなら、私人に戻って思う存分に言ったらよろしいのです。

あるいは「個人的に借金をして選挙活動をする」ということもNGでしょう。公的に借金をして公的に使う・・・つまり政治資金規正法や公選法などの法的手続きを守って借金をして選挙に使う・・・ということでなければなりません。猪瀬さんや渡辺さんは「個人的に借金をして、個人的に使った」と弁明しているのですが、そう言っている本人が公人なので、彼らにお給料を支払っている国民には通用しない弁明です。

「こっちは必死に働いて税金を納めて、あなたがたのお給料を支払っているのだから、その給料でやりくりしてくれよな」と国民は思うのです。8億円もの大金を個人的に借りて「熊手を買いました」って、公人がやるべきことではないし、公人が語るべき話でもありません。

個人的な意見を言えば非難され、個人的な買い物をすれば非難され、がんがんプライバシーを暴かれ、恥ずかしい一面を暴露される・・・。公人とは、とてもたいへんな立場ですね。「お金を儲けたい」とか「人々から尊敬されたい」とか、自分にとって何がしかの利益を求めていたら、割が合わない立場です。

逆にいえば、「そんな立場だから公人なのだ」ということになるでしょう。公のために自らを犠牲にするから、人々は全面的に信頼して、自らの生命・財産を託すのです。古臭い言葉ですが「滅私奉公(めっしほうこう=私を滅し、公に奉ずる)」とか「公僕(こうぼく=みんなのしもべ)」と覚悟できる人が、公人となるべきでしょう。最近では横文字で「サーバントリーダー(奉仕者としてのリーダー)」といったりしますね。

「そんなの嫌だ! 国会議員にも個人的な言動を認めてくれ!」という議員さんや、政治家(議員志望の人)がいるかもしれません。当然です。ぼくだって、そんな立場は嫌です。個人的な喜びを味わいたいです。だからぼくは、絶対に国会議員になれないでしょう。ネット上で名誉を毀損されたくらいで、公人モドキの社長ですら嫌になって辞めたような男です。自分を滅して国民の生命・財産を守るヒーローになんて、絶対になれないです。

「国会議員にも個人的な言動を認めてくれ!」という国会議員は辞職したらいいと思いますし、そう思っている議員志望の政治家は進路変更をしたらいいと思います。その方が個人的な喜びを享受できてご自身のためになりますし、公人としての覚悟に欠けている人に自分たちの生命・財産を託さなければならない国民にとってもありがたい話です。

極論すれば、ご飯を食べることも公的行事、トイレに行くことも公的行事、寝ることすら公的行事という認識で、何をするにしても自分の思いより公の利益を優先させる意識でいなければならないということです。日本でこのことを実践しておられる方が、天皇皇后両陛下です。多くを語らず、謙虚に、慎み深く振る舞われておられます。あのように立ち振る舞える国会議員が722人名(衆参両院の数)いたとしたら、日本は大きく変わっていくでしょう。

厳しい要求のように感じられるかもしれませんが、公人とは決して崇め奉られる立場でなく、むしろ公のために僕(しもべ)として奉仕する立場である、と覚悟するべきだと思います。だからこそぼくらも、真のリーダーとして尊敬し、生命・財産を委ねていくのだと思います。ぼくと同じような俗物に、ぼくの生命・財産を委ねたくないですし、ぼくが納めた税金を使ってほしくないです。


公人は覚悟をしてください” へのコメントが 2 点あります

  1. う~ん、社会通念上で公人という認識範囲は、確かに難しいですね。
    人間誰しも、名誉職や有名であるに係らず、公私の区別によって使い分ける面があるのかもしれません。
    それは、あまり好ましい事ではないと思っています。
    徹底した公人意識を宿命のように考えて生活できたとしたら、誰もが自然と模範にしたくなる魅力を発揮できる人になると感じます。

    • 何かすごい能力があるから・・・例えば、経済に精通しているとか、法律に詳しいとか、演説がうまいとか、歌がうまいとか、オリンピックで金メダルをとったとか、ノーベル賞をとったとか・・・、そういう人が公人になれるというわけではないんでしょうね。

      人々が「この人になら自分の生命・財産を託しても後悔しない」という人が、公人になれるのでしょうね。そういう人を探して選ぶのが、選挙というものの本質なのでしょうが、今は完全に形骸化してしまっているんでしょうね。嘆かわしい限りです。なんとか本質に立ち返らせたいですね。

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