小保方さん騒動を通して「許し許される文化」の確立を!


STAP細胞論文に欠陥あることは明白となりました。過去の博士論文に掲載された別の写真が使われていたり、文章の剽窃までが明らかになれば、もはや学術論文としての価値はありません。論文撤回は致し方ないでしょう。理研は未だに調査中ということで多くを語りませんでしたが、こういう類いの調査は慎重であるとともに、速やかに行うべきものでもあります。時間が長引けば長引くほど、問題は大きくなるためです。火事と同じです。初期消火に失敗すると、自分の家どころの話ではなくなり、ご近所中に延焼するものであります。科学界全体の問題に発展しかねません。理研に、慎重かつ迅速な対応を望みます。

「卑しい心の文化」から脱却しましょう!

三世代家族
小保方さんの行為は、科学者としてあるまじきことです。それは間違いありません。そもそも科学理論とは、客観的な証拠を積み上げながら論理的に展開していくものであって、主観に影響されてはなりません。自分が注目されたいとか、ライバルに勝ちたいとか、金儲けをしたいとか、そういう主観的な理由で研究されるべきものではありません。客観性が一番のポイントです。

このポイントさえ押さえていたならば、今回のような行為はあり得ませんでした。そういう意味では、科学者失格といわれても致し方ない状況です。最終的に理研の発表がどうなるのかは分かりませんが、いずれにせよ小保方さんバッシングは続いてしまうでしょう。それも、ご自分がなさったことのリアクションですから、彼女としては甘受するしかありません。

しかし、天下の理研が採用するくらいですから、彼女の能力は間違いなくあるはずです。そういう意味では、日本の科学界としては失いたくない人材です。ぜひ、再起できるように、日本全体の環境を整えてほしいものです。悪いことをした人を、ずっとバッシングすることは簡単ですが、そんな程度では成熟した文化とはいえません。

人間とは残酷なもので、異質なものを攻撃し、排除しようという卑しい心をもっています。いじめも、そういう心から起こります。異質な人(悪いことをした人も、その一部)を大勢で攻撃することで、妙な連帯感が生まれます。こういう卑しい心が、いじめから始まって最終的には国家間の戦争まで引き起こしてしまいます。21世紀になった今、こういう文化からはそろそろ脱却したいものです。

生まれながらの悪人っているのでしょうか?

赤ちゃん
そのためには、悪いことをした人が許される文化を作っていかなければなりません。これはとても難しいことでもあります。悪人なのですから、裁かれて然るべきだからです。日本には、究極の裁きとして死刑すらある状態です。そういう中で「許す文化」を標榜することは、そうそう簡単ではないでしょう。

小説や映画やテレビでも、勧善懲悪モノが流行るのは、「悪人、憎し!」という心があるためです。ぼくらは、やはり悪人が成敗されることに一種の快感を覚えてしまうのです。

でも、生まれながらの悪人っているのでしょうか? ぼくはいないと思います。どんな人も、初めは小さな可愛い赤ちゃんとして生まれてきて、お父さんお母さんの深い愛を受けて育ったはずです。生まれたての赤ちゃんが犯罪を行った、という話はきいたことがありません。

つまり、育っていく環境の中で悪い心根を大きくしてしまった人が、何らかの環境的な刺激によってその心根が枝葉を生やして実を結び、悪いことをしてしまうのだと思います。後天的なものですから、真摯に反省をすれば、悪いことをしない人間に生まれ変わることは可能だと信じています。

「許す」ということは、「許される」という前提によって成り立ち得るものです。悪いことをした人が真摯に反省をし、自分の行いを心から悔いて、包み隠さずに全ての心境を吐露したときに、許される条件を得ると思うのです。そういうことが成されないで、「私は悪くない」というような言動をされたら、許そうと思う人はいないでしょう。現代のベートーベン・モドキ、佐村河内さんがその典型です。

ですから、最終的には小保方さんも、ご自分の口で、どんな心境でどんな不正をしたのかということを包み隠さずに述べ、世界中の人に迷惑をかけたことを悔いて反省してみせるべきです。そして、もし、そのような彼女の言動に接したら、ぼくらは素直に許してあげるべきです。それが成熟した文化、許し許される文化、21世紀型の戦争を根絶する文化だと思います。

いじめ、犯罪、戦争、テロの根絶を!

母子
許される側が全てをさらけ出して反省することは、とても辛いことだと思います。しかし、それ以上に辛いのは、実は許す側だと思うのです。今回の小保方さんのケースではそれほどではないかもしれませんが(本当はもっといじめたいけど我慢しなければならないのか、という程度の辛さ)、犯罪者と犯罪被害者の場合ですとこの辛さが顕著になります。

いろんな事情や環境で犯罪者になってしまった人が、真摯に反省することも辛いものです。世の中に恨みがあるでしょうし、被害者にも何がしかの仕打ちをされたかもしれません。そういうことを越えて、自分が悪いのだと認めて悔い改めるまでには、結構な時間がかかるはずです。

しかし、仮にこの犯罪者がそのように悔い改めたとして、被害者もしくは被害者家族がこの犯罪者を許すことは、さらに難しいはずです。自分の愛する人を殺されていたりしたら、そんなに簡単には許せないものです。

悔い改めた犯罪者の方は、そんな被害者・被害者家族をみて、また辛くなります。でも、「許す」という行為の主体はあくまでも被害者側です。加害者がどんなに悔い改めて反省しても、それは「許されるための条件」になるだけであって、実際に許されるかどうかは被害側に委ねられるのです。

被害者側からすれば、とても大変なことです。私はそのような被害者になったことはないですから軽々に発言できませんが、1つの方法として「家族」という切り口はあるかなあ、と感じています。

憎い加害者にも、彼・彼女を愛した家族がいるはずです。少なくとも、おなかを痛めて彼・彼女を生んだお母さんはいます。そのお母さんも、彼・彼女が生まれたときには、その愛らしい表情に癒されたり、よちよち歩きを始めた彼・彼女から大きな喜びを得たでしょう。犯罪者の親は、最終的には子供を許してあげたい心でいると思います。被害者がそういう境地になれれば、許す前段階に至れるのかもしれません。

ぼくら国民が、そういう悟りにも近い国民性を持つことができたとき、この国からいじめや犯罪がなくなるでしょう。そういう人間性が世界に広がるとき、戦争やテロは根絶され、平和な世界が築かれるでしょう。それがいつになるのかは分かりませんが、今回の小保方さんのケースを機に、このようなことを深く考え、できる範囲内で実行していきたいものです。


“小保方さん騒動を通して「許し許される文化」の確立を!” への3件の返信

  1. 画期的な成果だとあれだけ注目されたのに、一転して疑惑の槍玉に挙げられる極端な騒動になりましたね。
    まぁ、身から出た錆ですから彼女本人も潔く認めて、ありのまま正直に謝罪して欲しいと思っています。
    なるほど、許しの欠如からイジメや戦争にまで陥る流れはそうかもしれません。
    今の世の中、相手の事情を配慮したり推し量る文化を取り戻す時だと思います。 
    拝志朗さんは社長職を経験されただけに、崇高な精神をお持ちですね。

    • 未来太陽さん。いらっしゃいませ。「相手の事情を配慮したり推し量る文化」は、本来、日本が持っていた素晴らしい一面だと思います。ぜひ取り戻したいものです。

  2. ピンバック: 1500万円を投じた理研のSTAP現象検証実験に科学的・社会的な意義はない | ∂世界/∂x = 感動

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