組織のトップは彼女を見習え


19日、「セウォル号」沈没事故の対応について、「適切に処理できなかった最終的な責任は私にある」と述べ、涙を流しながら謝罪した韓国の朴槿恵大統領。その謝罪の仕方に賛否両論ありますが、ぼくは高く評価しています。

トップが責任を認めて謝罪することの難しさ

朴槿恵大統領謝罪
どんな組織でも同じですが、その組織が何がしかの問題を起こし、社会に対して迷惑をかけたときに、組織のトップが責任を認めて謝罪することは極めて重要です。それができるトップは、勇気もあるし、責任感もある人です。

実際には、そのようなトップは少ないです。自分自身の保身から非を認めない人もいれば、その後の訴訟などで不利になるから責任を認めない人もいます。「トップが崩れたら組織全体がダメになる」と、組織のためを思って認めない人もいれば、「問題を解決してこそ、責任を全うしたことになる」と言い張る人もいます。

いずれの理由も一理あります。トップにだって家族があり生活があるのだから、失職したら家族が路頭に迷うかもしれません。自己保身をしたくなる気持ちは分かります。社会的責任は訴訟で最終決着することが民主主義社会のルールですから、判決までは安易に責任を認めない姿勢も間違いではないでしょう。

トップの自分がホイホイと簡単に責任を認めてしまい、部下やその家族の生活を崩壊させ、問題解決を他人に任せて「はい、さよなら」というのも、とても無責任のように感じます。

こういうことをいろいろ考えてしまうのも、実はトップの宿命でもあります。ぼくも一企業のトップだったので、よく分かります。トップではない人には想像もできないくらい、いろんなことを考えてしまうものなのです。だからトップは、スパッと責任を認めて謝罪できないことが多いのです。

いくら謝罪をしても、許されるかどうかは分からないという苦しみ

遺族抗議
ところが朴槿恵大統領は、「最終的な責任は私にある」と明確に語り、涙まで流して国民に謝罪しました。これはすごいことだと思うのです。そうそう簡単にできるものではありません。女優でもないわけですから、涙を流すにはそれ相応の気持ちがあってのことです。本当に責任を感じて、謝っているのだと思いました。

むろん、子どもを亡くした親たちは、いくら偉い人が謝ってくれたところで、すぐに心が晴れるわけではありません。まだまだ追及は続くでしょう。それでも謝り続けることしか、許してもらう術はないのです。それが責任を負っているトップの宿命です。逃れることはできません。

「許し」というものは、許す側に唯一の決定権があります。許される側には、一切の決定権はありません。許される側がどんなに謝ろうが、お金を出そうが、あるいは死んで償おうが、それで許される保証はありません。許される1つの条件にはなりますが、最後に許すかどうかを決めるのは被害者の方なのです。

そういう意味では、責任を負っているトップは、とてつもない立場なのだと分かります。もし自分の組織が問題を起こして社会に迷惑をかけたら、死ぬまでその責任が付いて回り、場合によっては一生許してもらえず、恨まれながら生きる人生となるのです。トップたる者は、その自覚をしっかりと持つべきでしょう。

朴槿恵大統領の謝罪は、そのことを明確に教えてくれました。さまざまな組織のトップの人は、ぜひ見習ってほしいと思います。いろいろと社会的な問題を起こしている組織でも、トップが涙を流してまで謝罪し、責任を認めることは少ないからです。

「会社の規則には、そういうことはいけないと明記してあります」、「定期的にコンプライアンスの講習をしていたのに、理解していなかったようです」などなどと、言い訳に終始するトップの多いこと。

会社や役所はもとより、人々の救いのために存在する宗教組織でも、トップたる教主・教祖が涙の謝罪をすることは滅多にありません。「信者が勝手にやりました」などと、ほざくことがほとんどです(失礼)。

こんなことでは、決して世の中は良くならないです。では、朴槿恵大統領の謝罪によって韓国が良くなるのかといえば、それも分かりません。でも、少なくとも、あのようにトップが責任を認め、涙の謝罪をしたことは、韓国が良くなる1つの条件になることは間違いないと思います。


組織のトップは彼女を見習え” へのコメントが 2 点あります

  1. 日本では雪印の食中毒事件で、社長がマスコミに言った「私も寝てないんだ」の一言が大問題になったことがありましたね。
    問題がすぐに解決できるかどうかはトップがどう世の中に見せられるかが重要になってきますね。

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