悪質タックル問題への日本大学の対応から現代科学を学ぶ


日本大学のアメリカンフットボール部が起こした悪質タックル問題は、収束するどころか、どんどん拡大しています。

悪質タックル 前監督の職務解任を 日大教組が要求書

要求書では「抜本的な改革と再生を図るより他に道はない」と強調。人事担当の常務理事、各運動部の予算を管理する保健体育審議会事務局長などを兼務する内田前監督の職務を解くよう求めた。

このほか、アメフット部の部長やコーチら全員の解任▽理事による運動部監督・部長の兼任禁止▽田中理事長、大塚吉兵衛学長らの辞職--などを求めた。

悪質タックル 内田氏らへの告訴状を受理 警視庁

けがをした関西学院大選手の父が31日、日大の内田前監督と井上奨(つとむ)元コーチの2人について、警視庁調布署に傷害容疑で告訴状を提出し、受理された。

さて、今回のブログのタイトルは「悪質タックル問題への日本大学の対応から現代科学を学ぶ」とさせていただきました。なんじゃらほい、という感じの意味不明なタイトルに感じる方もいるかもしれません。少々お付き合いくださいませ。

科学は、近代科学と現代科学の2つに、ざっくり分けることができます。

近代科学とは17世紀のヨーロッパから興ったもので、立役者にはコペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンなどが挙げられます。そこから20世紀のアインシュタインまでの科学者は、近代科学者ということができます。科学史的には、アインシュタインの科学(相対性理論など)は近代科学に入ります。

従って、そこから先が現代科学です。むろん、アインシュタインが死ぬまでが近代科学で、その後突然に現代科学が始まったというわけではなく、オーバーラップしています。アインシュタインが生きていた時代から現代科学は始まっていました。

現代科学の立役者としては、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、エドワード・ローレンツ、マンデルブローなどが挙げられます。

シュレーディンガーやハイゼンベルクは、量子力学を築きました。量子力学とは原子や素粒子など、ミクロの世界を扱うものです。それまでの近代科学ではミクロの世界の挙動を記述することができませんでしたが、量子力学でそれが成し遂げられました。

例えば、原子のイメージとして、原子核の周りを電子が回っているというものがあります。これは、太陽の周りを惑星が回っているということから、ミクロの世界も同じようになっているというイメージを持っていたわけです。しかし、近代科学でそのことを説明しようとすると、電子はたちまち原子核に落下してしまうということになってしまい、どうしても説明できませんでした。

それを量子力学では克服したわけです。話がややこしくなるので、その説明は省きます。ごくごく簡単に言ってしまえば(いや、かえって難しいか)、原子核の周りを電子が回っているのではなく、一つ一つの電子が原子核の周りを、モヤーッと雲のように広がているということになります。それが真の原子の姿です。

量子力学と近代科学との決定的な違いは、観測者というものを認めるかどうかということです。例えば近代科学では、リンゴが木から落ちたときに、それを見ていた観測者というものは、方程式の中に組み込まれません。地球とリンゴの関係だけで方程式が記述されます。しかし量子力学では、観測者というファクターも方程式に組み込まれるのです。

エドワード・ローレンツ、マンデルブローは、複雑系の科学という分野を開拓しました。複雑系の科学と近代科学との決定的な違いは、自然現象を単純化するかどうかです。

近代科学では単純化してきました。例えば、リンゴが木から落るという現象を、地球の重力とリンゴの質量、落ちた距離や時間というものだけに絞って考えます。他の要素は大した影響がないということで無視をして、自然現象を単純化して方程式を記述するのが近代科学なのです。

複雑系の科学では、細かい要素を無視しては自然現象を真に記述したことにはならないという立場を取り、単純化をせずに、複雑なまま理解しようとします。それは大変な試みなので、複雑系の科学はまだ完成されたわけではありません。まさにこれからの科学、すなわち現代科学です。

その複雑系の科学の立役者の一人、エドワード・ローレンツが提唱したものが、バタフライ効果です。彼はもともと気象学者でした。大気の運動を説明するためにモデルを組み立て、そのモデルでさまざまな初期値を設定して計算していたのですが、初期値をほんのちょっと変えただけで、結果に甚大な差が出ることを見つけたのです。それをたとえて、「ブラジルで蝶が羽ばたけば、テキサスで大竜巻が起きる」という表現を使ったので、バタフライ効果と呼ばれます。

単純化されない、複雑な真の自然界とは、このようにほんの少しのファクターが、結果に極めて大きな影響を与えているのです。これが現代科学が語る自然の姿です。

日本大学のアメリカンフットボール部が、試合で悪質タックルをした問題で、日本大学はまさに「初期値の設定」を間違ったのです。当然、問題が発覚した時点で、全部正直に話して謝罪していたら、こんなことになっていないでしょう。大学の経営陣が退陣要求されることもなかったでしょうし、警察から調べられることもなかったでしょう。日本大学の経営陣はこの問題を17世紀の科学観、すなわち近代科学的な思考で単純化し、まさに蝶の羽ばたきほどの微々たるものだと考え、無視してしまったわけです。その結果が、今の状態です。

これは日本大学だけの話ではなく、どんな組織にも当てはまります。問題が起きたときに、なるべく早く、適切な対応をしていくことが大切です。その時間が遅れるほど、また対応が適切ではないほど、その結果は大竜巻のように甚大なものになってしまいます。

ぼくが以前にいた会社のグループも、数年前にある問題が発生したときに、適切な対応を迅速に取ることができませんでした。ぼくがグループ会社の社長を辞めた後も、問題はどんどん拡大し、今ではグループが3つに分裂してしまい、お互いがいがみ合うようになっています。バタフライ効果を知っていれば、問題の初期対応を迅速・適切に行うことは徹底していたはずです。

組織を運営する人々は、ぜひ複雑系の科学を学んでほしいと思います。大学などでも、理系の専門分野の学生だけではなく全ての学生に学ばせるべきだと思います。科学は日進月歩でどんどん進んでいるのに、21世紀に入っても多くの経営者・指導者が17世紀の科学観で思考していたら、悲しい話です。自然の摂理には逆らえないのですから、なるべく自然を真に記述する科学に沿った思考方法になるよう、頭の中を常にアップデートしていただきたいと思います。


“悪質タックル問題への日本大学の対応から現代科学を学ぶ” への2件の返信

  1. いつも楽しく薀蓄のある記事を参考にさせていただいています。
    (改行が良くわからないので見苦しいところは修正してください)。

    日大アメフトの件で「現代科学を学ぶ」というお話はとても興味があります。
    ただ、どうとらえるのかわからないところがありますので質問させて下さい。

    1.監督・コーチの視点で考えた時。
      ・そもそも「1Qでつぶしてこい」・・・はプレー中(ボールを支配する所作)
       において指示している。
      ・アメフトにけがは付き物で、それが重篤な怪我でも「試合中だから」
       ですまされてしまう。
      そのような価値観でいる監督、コーチが「指示そのもの」が間違っている
      と認めることはあり得ない・・・・と、思うのです。

      ようは、「ボールを支配していないところでの悪質タックル」に関して
      潔く謝罪をして当該選手を「守る」立場に立ては、事は大きくならなかった
      のでしょうか。

    マスコミや世間は「日大のあり方」にまで視野を広めてとらえているようです。
    確かに私が大学に入った時に先輩から「学生運動盛んな時代に日大は
    相撲部を動員してデモ隊に対峙した」という話を聞きました。私の時代はまだ
    学内に民青・全共闘の巨大看板が乱立していて学園祭に参加するにも民青
    主導の学内デモをしなければ参加できなかったのです。日大においてはその
    時の相撲部(体育会)の行動がのちの学内力学を決めたのかも知れません。

    おそらく京橋さまは「初期値の設定」の間違いを指摘されていますので
    「悪質タックル」そのものへの分析よりも、事件後の「対応」に関して
    指摘されていると思います。なので、私の質問は論点がずれているかも
    知れません。
    が、合わせてご意見を伺えればと思います。

    • 悪質タックルそのものの分析については、実行した選手と監督・コーチの主張が食い違っていますので、なかなか難しいです。

      キーポントは2つでしょう。1つ目は、監督・コーチが、相手QBがボールを持っていようが、持っていなかろうが、タックルしろと言った(もしくは示唆した)のか。2つ目は、相手QBがけがをしてもよいと言った(もしくは示唆した)のか。

      関東学生アメリカンフットボール連盟は、2つとも、言った(もしくは示唆した)と認め、監督・コーチにあのように重い処分を課しました。多くの関係者へのヒアリングと映像分析の結果、実行した選手の言い分に信ぴょう性があると判断したからです。

      むろん、その判断が正しいかどうかも分かりません。今後は警察の捜査になるので、その結果を見ればもう少し正確に判断できるでしょう。

      仮に、上記ポイントの2つとも、監督・コーチは言っていない(示唆もしていない)ということが事実であれば、つまり選手の理解に乖離があったということであった場合は、おっしゃるように学生を守る立場に加えて、ルール順守・スポーツマンシップを前面に出して初期対応をするべきだったということになります。

      後者の「ルール順守・スポーツマンシップを前面に出して」とはどういう意味かと言いますと、要はあのプレーを見た瞬間に、選手をグラウンドから外し、厳重に注意・指導するべきだったということです。ボールを持っていない選手にタックルするのは反則だし、それでけがでもしたら相手選手に申し訳ないでしょう。すぐに退場させて対処するべきでした。

      百歩譲ってその場を見ていなかったとしても(コーチは見ていたと証言していますが)、後日映像を確認するわけですから、そのときに、厳重に注意・指導するべきだったのです。

      しかし、現実には、試合中に審判からヘッドコーチに「あの選手を何とかしてくれ」とまで言われているのに、3回も反則を繰り返させ、審判から退場させられてしまっています。

      厳重に注意・指導していた上で、学生を守る立場で真摯に謝罪していたら、ここまで大ごとにはなっていないはずです。

      逆に言うと、厳重に注意・指導していなかったら、「要は、やれと指示したんじゃないか」と皆に疑われているわけです。そりゃあ、学生に指示したのに、その学生に「ルールを順守しろ、スポーツマンシップを持て」と厳重に注意・指導などできんでしょう。

      もし指示していたのなら、全部正直に話して謝罪していれば、少なくとも日大のあり方まで追及されまではしなかったでしょう。監督・コーチが解任され、警察に逮捕されて、罪を償えば済んでいたでしょう。

      そんなところでしょう。

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