意味のないことなど起こりはしないのか?



平原綾香さんが歌う名曲「Jupiter」に、次のような歌詞があります。

愛を学ぶために孤独があるなら
意味のないことなど起こりはしない

今、孤独だと思っていても、それは「愛を学ぶため」という意味があるのだということ。さらに広くは、この宇宙の出来事には、意味のないことなど起こらないのだというメッセージでしょう。つらいことがあっても元気が出る歌詞だと思います。

しかし、ぼくは宇宙の出来事について、この歌詞とちょっと違う解釈を持っています。意味のないことなど起きないのではなく、起きたことに対して意味を与えるのは自分自身だという解釈です。「Jupiter」の歌詞のように、自分に対して出来事が意味を与えてくれるという受動的な解釈ではなく、自分自身が出来事に対して積極的に意味を付与するのだという能動的な解釈です。

例えば、家に帰って食べようと楽しみしていたケーキを、弟に半分食べられてしまったという出来事が起きたとします。その出来事はどんな意味があって起きたのでしょうか。単に弟がケーキを食べたかったが、兄の自分に遠慮して半分残したという意味に過ぎないです。

けれども、兄の自分がその出来事をどう捉えるか、つまりどんな意味を与えて解釈するかは、実は自分の勝手なのです。「くそ! 半分も食いやがって! 腹が立つ出来事だ!」という意味にするのか、「まだ半分も残っていた! ありがたい! 感謝すべき出来事だ!」という意味にするのか、これは自分に絶対的な主導権があるものです。

「Jupiter」の歌詞のように孤独になったときも、「これは愛を学ぶためなのだ」という意味を持たせるのは、誰でもない自分自身です。

少し哲学的に言えば、客観事実(起こった事実)は変えられないが、主観的事実(心の中の事実)は自由に変えられるということです。出来事に意味を与えるのは、自分の心なのです。

金持ちになりたいとか、すてきな異性に出会いたいとか、いろんな望みがあったとしても、それは人生の目的ではありません。最終的には心が豊かになり、心が満たされることこそ、人生の目的です。だったら、どんな出来事でも心が豊かになり、満たされるように、起こった出来事に「良い意味」を与えて、「良い主観的事実」を獲得していけばいいことなります。

過去・現在・未来という軸で考えれば、過去は起こってしまったことなので変えようがありません。でも、その過去にどんな意味を与えるかは、自分次第です。極論すれば、全部自分にとって都合の良い、素晴らしい意味にしてしまえばいいのです。

未来はこれから起こることなので、いかようにでも変えようがあります。どんどん良い意味を未来に与え、素晴らしい未来を夢見て心を豊かに満たしたらいいのです。

そうやって、素晴らしい過去と未来に挟まれた現在は、それはそれは素晴らしい時間です。こういう生き方ができる人の状態を「幸せ」と呼ぶのです。


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