日本と韓国は、どうしたら仲良くなれるのでしょうか?


このタイトルを読んで、「仲良くなりたくなんかねーよ」とおっしゃる日本人と韓国人が多いかもしれません。両国には、反韓・嫌韓、反日・嫌日の人たちがたくさんいます。でも、両国がいつまでもいがみ合っていることは得策だとは思いません。些細なご近所トラブルが悲惨な殺人事件になってしまうように、国同士のいがみ合いは多くの人々が犠牲となる戦争になる危険性があります。しかも周辺の国々は、そのいがみ合いや戦争を利用して自国の利益を得ようと、虎視眈々と狙っています。ですから、できることならば日韓両国が仲良くなるほうが、ぼくらやぼくらの子孫たちの生活にとって良いことではあるのです。

情報は常にコントロールされているということを知っておくべきです

情報

そうではあるけれども、日本と韓国の主張はあまりにも違いすぎます。例えば従軍慰安婦問題では、韓国側は概ね、「日本の国家が、韓国の女性たちを強制的に連れ去り、軍人たちの性奴隷として扱ってきた。だから国家的に賠償せよ」という主張です。

日本側は概ね、「あれは日本の国家ではなく業者がやっていたものだ。しかも、戦時下のそういった性産業は、どこの国でもやっていたもので、日本だけを非難するのは筋違い」というものです。

昨年は日本で韓国人に対するヘイトスピーチが問題視されましたが、韓国だってしばしば日本の国旗や首相の写真を燃やして踏みつけるデモがなされます。竹島(韓国名:獨島)は両国が領土として譲りませんし、それを日本の教科書に記載する際に抗議してくる韓国と、「内政干渉だ」とはねつける日本との溝は、いつまで経っても埋まらないです。

どうして、こんなことになってしまったのでしょうか? いくつも原因は考えられます。例えば、日本にも韓国にも、さまざまな利権を目当てに、むしろこういった小競り合いを自分たちの利益につなげようとしている人々がいるということです。

または、小さなころからそういう教育を受けてきたので、当然の帰着としてそう考えるということ。これは愛国教育(反日教育という人もいるけど)が強い韓国のほうが、強い傾向でしょう。日本の教育は長らく左寄りの日教組が支配してきましたから、ぼくらのころなどは愛国心なんてまったく教えられてきませんでした。マスコミも同様に左寄りが多かったから、こういった問題には触れてきませんでした。

最近になって、インターネットが発達し、マスコミだけではなくさまざまな立場で意見が言える環境が整ってきたので、こういった話も表に出るようなりました。それに触発されて、日韓問題のさまざまな事柄を扱う書籍も増えました。ぼくなども、そういう環境下で初めて従軍慰安婦問題や竹島問題などの奥深い内容を勉強した者であって、学校教育ではこの分野はほとんど学んでいません。

小さいころから教育されてきた韓国人と、最近になって勉強し出した日本人(一部は、昔から勉強してきた人もいるでしょう)という違いはありますが、要は「自分が実際に体験したことのない時代の事柄を、後付けで学んだ」という点は同じです。

自分たちの利益のために情報をコントロールする人々の存在と、コントロールされているかもしれない情報をもとに学習してきた人々という存在が、今の日韓両国にたくさんいるということが問題の本質だと思います。

現代の人々が過去を評価することは、想像以上に難しいものなのです

ローマ遺跡

そもそも歴史というものを語ること自体、とても難しいものだと思っています。ものすごく昔のことであれば、まず文書としての記録自体があまりありません。口伝えされてきたことが、後々文書にまとめられるという感じですから、伝言ゲームのように話はいくらでも変化してしまいます。

文書に記す人の思惑も反映してしまいます。時の政権が被支配層に伝えたいように、過去の話を捻じ曲げて都合よく伝えることもあります。ですから、古文書の類が見つかったからといって、そこに真実が記されているとは限りません。

ホイッグ史観という歴史観があります。イギリス史の概念で、ホイッグ党という政党が優位に立った時期に、「これまでのイギリスの歴史は、ホイッグ党が誕生するように進歩してきたのだ」と考えたことに由来します。端的にいってしまえば、「時の権力に都合よく過去を評価する歴史観」ということです。

これはイギリスに限ったことではなく、実はどこの国のどの権力者もやってしまいがちな歴史解釈だと思います。それはそうです。自分が国の頂点(国の命運を左右する立場)に立ったということは、「自分の歴史=国の歴史」と考えてしまいやすいからです。だから、自分の歴史をクローズアップさせ、自分と関係ない歴史は無視、あるいは敵対者として悪役の座を与えたりするわけです。

人間には誰しも、こんなことを考えてしまう、やってしまう性質が内在していると思います。特に男性などは「スーパーマン願望」みたいなものが少なからずあるので、自分が組織のトップになったりすると、自分史を語ってみたくなるものです(ぼくも社長時代にそんな誘惑にかられたりしました)。

まあ、こういったことを考慮しても、日韓問題の本質である「歴史認識」は、それを支える情報がどれだけ真実に近いかという問題に置き換えられることになります。

客観的に物事を判断する「科学的方法論」を駆使して、歴史を認識するべきです

科学的方法

では、どうするのか? 理系の発想からすると、方法は単純です。科学の現場で普通に使われている方法論(科学的方法論)を用いればいいだけの話です。

科学的方法論とは、客観的に物事を調査して、何がしかの仮説(知見)を見出し、その仮説(知見)が正しいか否かを立証する、正しくなかったら再度調査…と繰り返していくサイクルのことです。

ビジネスやマネージメントの分野では、PDCAサイクルとしておなじみですね。PDCAサイクルとは、「Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)」です。これも立派な科学的方法論です。

つまり、この方法論には人間の主観が入り込まないんです。「あいつ憎たらしい」とか「この人は好きだから、こうしちゃおう」といった主観は抜きにして、客観的にデータを集めて仮説・立証(反証)という作業を繰り返していくのです。

むろん、本来は主観を入れてはいけない方法論なので、主観を入れてしまうケースは多々あります。そのすべてが悪いとはいいませんが、あまり主観を入れ過ぎると科学的ではなくなります。そういう例外ばかりをつくってしまうと、最後には都合の悪いデータを無視するとか、データの改竄にまで至ってしまいます。ですから、基本的には例外なく客観的にやっていくべきです。

タイムマシンなんてありませんから、過去に戻って実際に確認してくることはできません。現存するデータしか、過去を研究する材料はないのです。そのためには、現存するデータが客観的であるかどうかが、最も問われるのです。

慰安婦問題のように、慰安婦だったという人の証言も貴重なデータですが、人の記憶というものは100%の客観性はありません。ましてや人は嘘もつきます(慰安婦の方々が嘘をついている、というわけではありませんので、念のため)。前述したように、歴史的な文書も100%の客観性はありません。

ですから、1つの歴史的出来事の真実性を探るには、1つだけのデータをもとにしてはダメです。複数のデータを集めることです。多ければ多いほどよいです。むろん、その中の1つに体験者の証言もあってしかるべきです。そうやって、現存するあらゆるデータを収集した結果、共通する部分を抜き出していけば、100%でないにしろ客観性は高まっていきます。そこで「実はこうだったのではないか」という仮説を導出し、今度はその仮説が正しいか否かを別のデータを収集して判断していくのです。

こんなことは、科学の現場では普通に行われています。歴史研究においても、これくらい厳密にやっていくべきでしょう。むろん、これを日本だけでやっても客観性は担保されません。お互いの主張が異なる日本と韓国が共同で、このような科学的方法論で歴史研究を重ねていくことで、真実の日韓史が紡がれていくはずです。

そのための第一歩は、とにかく「韓国憎し!」、「日本憎し!」という感情を棚に上げて置いて、こういう研究テーブルにつくことです。それもできないようじゃあ、「これぼくの!」、「ちがう、ぼくのだ!」と砂場でおもちゃを取り合っている子供の喧嘩と大差ありません。


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