本当の「言論の自由」とは? 村上春樹さんの小説に中頓別町議が抗議したことについて考える


このブログの記念すべき最初の記事で、「所詮はフィクションなんだから、リアリティーを要求するな!」と書いたのですが、昨日またそんな出来事が世間を騒がせました。村上春樹さんの短編小説「ドライブ・マイ・カー」(月刊誌「文芸春秋」2013年12月号)で書かれた描写に、北海道中頓別町の町議が抗議しているというのです。

賛否両論、どちらの言い分も一理あるから、難しいのです

議論

問題となったのは、中頓別町出身者の「タバコのポイ捨て」を見た主人公が、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と思うシーンです。同町議は、「町にとって屈辱的な内容。町民の防災意識は高い。村上氏の小説は世界中にファンがおり、誤解を与える可能性がある」、「実在の町名を使うなら、住民の暮らしぶりや環境整備の取り組みを取材していただきたかった」、「回答が得られなければ町議会に何らかの決議案を提出したい」と述べています。

確かにこの主張には一理あります。村上春樹さんといえば、いつノーベル文学賞をとるかと言われているほどの、世界の中でも「超」がつく有名小説家です。そういう人が書く文章には、十分な配慮が必要だともいえるでしょう。ネット上でも、「配慮が足りなかった」とか、「町として抗議する権利はある」といったように、同町議の抗議に賛同する意見があります。

かたや、「実質的な検閲、焚書になっていく」とか、「登場人物の主観にいちいち苦情をつけられたら、何も書けない」という反対意見も多いです。これも一理あります。あくまでもこれはフィクションであって、中頓別町の現状を扱ったノンフィクションではありません。作りモノの世界の中で、作りモノの主人公が、作りモノのセリフを語っているだけなのに、町議会で決議案を出して抗議するとはやり過ぎだとも感じます。

例えば、西村京太郎さんの推理小説では、しばしば電車の中で殺人事件が発生します。でもJRは、「しばしば殺人事件が起きる電車を走らせていると思われる。屈辱的だ」と、西村さんに抗議なんてしていません。テレビ朝日で長らく続いている2時間ドラマ「温泉若おかみの殺人推理」では、温泉地の旅館が実名で登場しますが、「人が殺される旅館だと誤解される可能性がある。抗議する」と怒っていません。

否、むしろ「よい宣伝になる」と思っているのでしょう。特に後者のドラマなどは、完全にテレビ局と旅館がタイアップしているのです。殺人事件なんて、タバコのポイ捨て以上におぞましい出来事なのに、中頓別町議とはまったく対応が違います。

うまくPRに使ったらいいのに…、でも抗議したくなる気持ちも十分に分かります

プレゼン

ぼくもクリエーターなので、心情的には村上さんを擁護したいです。やはり、「言論の自由」は侵されるべきではありません。反対意見にあるように、いちいち「この描写は、どこの誰かに迷惑をかけないだろうか」と心配しながら作っていたら、何も作れなくなります。芸術作品というものは、自由な発想の中から誕生するものです。

むしろ、あの超有名な世界的小説家の作品に実名で登場した町として、大々的に宣伝して町おこしをしたらいいのに、とすら思います。

「ドライブ・マイ・カー」の主人公は「タバコのポイ捨てが普通に行われているのだろう」と想像していましたが、ホントはどうか見に行きましょう! とキャンペーンをやるとか…。ぼくが町議だったら、やりますね。そうやって訪れた観光客に、町の防火意識の高さを思いっきりPRしたらいいのです。

しかし、フィクションにしろノンフィクションにしろ、実名をあげられて事実と違うことを言われたら、やはり気分が良くないでしょう。しかも今回のように、防火意識の高い町なのに「タバコのポイ捨てを普通にやっているんだろう」などと言われたら、腹も立つでしょう。そして、もしその町議が、町の防火意識を高めるために、ものすごく尽力をしてきたとすれば(あるいは尽力した人を知っていたなら)、抗議をしたくなることは十分に理解できます。

今回のトラブルの主因は、村上さんが世界的に有名な小説家であったこと、防火意識の高い町にとっては容認できない記述があったこと、この2点であると思います。これ以上こじれないように、お互いの良識ある対応に期待したいです。

自由の行使には、必ず責任が伴うということを肝に銘じるべきです

校閲

この出来事で、あらためて「言論の自由」というものについて考えさせられました。確かにこの自由は、万民に与えられたものだと思います。未だに「言論の自由」がなく、権力の意向に逆らう発言をしようものなら粛清されてしまう国もありますが、そんなところではクリエイティブな活動(つまり人間が他の動物と決定的に違う部分)は一切できません。言論の自由は、人間にとって絶対に必要なものです。

しかし同時に、「言論の責任」というものも、もう1つの重要な要素だなあと感じました。「語ることは自由、しかし語ったことに対する責任は発生する」ということです。ここらへんは、大メディアである新聞やテレビやラジオなども肝に銘じないといかんでしょう。「言論の自由」ばかり行使して、「言論の責任」をとらないことは多々見受けられます。

例えば最近では、STAP細胞の研究で一躍「時の女性」となった小保方晴子さん。特にワイドショーのような「軽めの情報番組」では、小保方さんのプライバシーを細かく紹介しました。むろん悪意があるわけではなく、可愛らしい女性がノーベル賞級の発見をしたから、「いったいどんな女性なのだろう」という世の中の興味を察してのことです。

前述した「村上小説で中頓別町も町おこししたらいいじゃん」という理屈でいえば、小保方さんも「報道の露出が多くなったことを利用して研究費をたくさん募ったらいいじゃん」ということになるでしょう。しかし、それは当事者ではないぼくだから言えることであって、当事者の小保方さんは精神的に苦痛を感じているのです。サイトで「報道関係者の皆様へのお願い」として、メディアへ配慮ある報道を呼びかけています。

これに対して各メディアは、どのような対応をするのでしょうか? 今のところ、なんのリアクションもないですね。むろん、彼女のこの声明で過激な報道はおさまりましたが、それで「言論の責任」を果たしたといえるのでしょうか?

人に迷惑をかけたら謝ること。これは誰しも子供のころに学んだ礼儀です。人々に多大な影響を与えるメディアや有名人たちは、特にこの礼儀を重んじてほしいものです。そうやって「言論の責任」を果たす者にこそ、人々は「言論の自由」を行使することを真に認めてくれると思うのです。


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