AKB商法の終焉は、民主主義社会の終焉


AKBグループの一つ、NGT48メンバーの山口真帆さんがファンから暴行を受けた事件で、運営会社・AKSによる記者会見が大失敗に終わり、騒動は泥沼化しています。

山口真帆さん暴行事件の騒動に映るAKBの凋落

昨年12月、新潟を拠点とするアイドルグループ「NGT48」のメンバーである山口真帆さんの自宅にファンが押しかけ、山口さんに暴行を加えた事件。今年1月になって山口さんが自身のTwitterやSHOWROOMで発信したことで発覚し、世間を巻き込む大きな騒動となった。
(中略)
これを受けてNGT48の運営会社AKSが3月22日に開いた「第三者委員会の調査結果を受けての説明会」は、「史上最低レベル」だったといえるだろう。翌日のスポーツ紙には「しどろもどろ」「火に油」「運営大炎上」といった大きな見出しが掲げられた。

それも当然だろう。第三者委員会と言いながらメンバーは“身内”の弁護士、ファンと「つながり」があったとされるメンバーは「不問」。「コミュニケーションを取る」と言いながら具体策はなし……と集まった報道陣の疑問に対してほとんど明確な返答を示すことができなかった。

さらに被害者である山口真帆さんのリアルタイムツイートには“絶句”と、およそ当事者意識のカケラも感じられない内容だった。少なくとも報道陣と、ネットによる中継を見ていた視聴者はそう受け止めた。

50代半ばに差し掛かろうというぼくとしては、さすがにAKBなどのアイドルグループへの関心は薄くなっていたのですが、この騒動があってからいろいろ考えさせられました。

そもそも、山口真帆さんが暴行を受けたときに、運営会社はそれを隠そうとしたけれども、山口さん本人は運営会社の意に反してSNSで事件を発表したことが、ショッキングでした。現代はSNSというツールがあるので、誰でも手軽に情報発信できてしまうわけです。情報統制で組織防衛できる時代ではなくなってきたということです。

しかも、NGT48のメンバーが、山口さんの自宅住所をファンに教えたらしいということもショッキングでした。これら2つのショッキング事例が、騒動を大きくしました。

それで運営会社は第三委員を設置して事件を調査して、今回の記者会見に臨んだのですが、会見中に山口さんがまたもやSNSで「リアルタイムの反論」をしたものだから、上記のように「史上最低レベル」とまで言われ記者会見になってしまいました。

この騒動について、上智大学文学部新聞学科の碓井広義教授(メディア文化論)は次のように述べています。

NGT騒動収束せず「アイドルビジネスの終わりの始まり」 報告書を徹底分析

「今は、ファンがアイドルに電話やLINEの連絡先を割と簡単に渡すことができて、アイドル側がその気になればいつでもつながれる、接触できるという状態になってしまいました。そのファンと仲良くなれば、CDやグッズを沢山購入してもらうことができるかもしれません。総選挙になれば、投票券付きのCDを大量購入してもらい、グループ内でのポジションだって上がります。場合によっては、センターだって取れるかもしれません。そういうファンは彼女たちにとっていわゆる“太客”です。キャバクラの女の子たちが売り上げを伸ばそうとするのと同じ発想で、“太客”が離れないように、好きでなくてもいい顔して、要求をのんでしまうこともあるのでは。運営側がグループ内の競争を煽り、人気争いが激化すれば、お金を使ってくれるそういうファンを多くつかまえたいという心理になっても不思議じゃないです。“AKB商法”と“AKBシステム”自体がほころび始めているんじゃないでしょうか」

ぼくもそのとおりだと思います。特に「キャバクラの女の子たち」と似ているという点は全く同感です。もう少し踏み込んでいうと、女性という性を売りにしている一歩手前の商売だといえます。

こういうアイドルたちは、ざっくり言えば「かわいい女の子」たちです。そういう部分を売りにして、男の子からお金を出させるのです。むろん、彼女たち本人というよりも、運営会社が商売しているわけです。売春のように性を売りにするとまでは行かないにしても、その一歩手前のようなものです。

ぼくらが若い頃もアイドルはいましたが、いわば手が届かない存在でした。ところがAKBグループは「会いに行けるアイドル」といわれるとおり、手が届く存在になりました。握手会というものもあって、実際に手を握ることもできるわけです。ファンになる人の動機はいろいろでしょうが、根底には男性特有の思い(性欲に突き動かさせるもの)があります。そういう思いの対象に会いに行けるのですから、トラブルが起きないほうがおかしいでしょう。

以前も、AKB48握手会で傷害事件がありました。今回も同じAKB商法という枠組みの中で起きた悲劇です。今回のケースとは少し事情は異なりますが、アイドルがファンにメッサ刺しされた殺人未遂事件まで起きています。「かわいい女の子」ということを売りする商売で、気軽に会いに行けるようにするというのは、このように危険なのです。

これは、大げさに言うと民主主義社会の終焉をも暗示しています。AKB商法に代表される「会いに行けるアイドル」というビジネスモデルは、ファンが理性的な善人だという前提で成り立っています。同様に、民主主義は、民衆が理性的な善人だという前提で成り立っています。そういう民衆が政治家を選び、国家運営を託します。しかし、民衆が理性的でもなく、善人でもなかったらどうしょう。自己中心的に政治家を選び、とんでもない政治家が国家を運営します。これでは国家もいずれ危機を迎えます。

一連のAKBグループの騒動は、ぼくらの社会の未来を見せつけているともいえます。これを機に熟考してみる必要がありそうです。


“AKB商法の終焉は、民主主義社会の終焉” への2件の返信

  1. いつも含蓄のある記事を楽しませていただいています。
    「民主主義の終焉」とは、また大きな見解だと感じましたが、しかし納得
    する内容ですね。

    話は変わりますが、「ブラックホールの撮影成功」が大きな話題になって
    いますが、いまだに「だから何?」と思ってしまいます。解説などを
    できましたらよろしくお願いします。

    • ありがとうございます。「ブラックホールの撮影成功」の話題ですね。次回のブログで書いてみます。次回がいつになるか未定ですが(;’∀’)

      最近、このブログは完全に月1のペースになってしまいました。何とか週1戻したいと思ってはいるのですが、本業が忙しくて、ままなりません。気長にお待ちください。

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