おもしろクリスチャンが語るクリスマスイブの本当の意味


きょうは12月24日です。きょうの夜を俗にクリスマスイブと言っています。つまりクリスマス(12月25日)の前夜祭と一般的には思われています。

実はこれは誤りです。上馬キリスト教会さんのTwitterに分かりやすく書かれています。

【教会豆知識】

「クリスマスイブ」は「クリスマスの夜」という意味で「クリスマス前夜」という意味ではない

「イブ」は「evening」の略。昔のユダヤ社会で1日を夕方から夕方までで数えたなごり

イエス・キリストが登場した頃のユダヤ社会では、日没から日没までを1日と数えていました。つまり、夜から1日が始まるという考え方です。今の暦でいえば、クリスマスは12月24日の日没から25日の日没までになります。

12月24日の日没から始まる夜は「クリスマスの夜」ですから、クリスマスイブ(クリスマスのイブニング)だということです。要は、クリスマスイブはクリスマス前夜ではなくて、クリスマス当日の夜ということになります。

と、きょうの日にちなんでクリスマスねたに触れましたが、上記で紹介した上馬キリスト教会さんのTwitterにはとても面白いです。そのことを紹介したニュースサイトがありますので、クリスマスついでにぜひ読んでください。ちょっとだけ抜粋してみます。

教会が言っちゃう?「クリスマスにイチャイチャすんなよ」自虐の狙い

駒沢にあるキリスト教会が破壊力抜群のツイートを連発し、開始からおよそ3年でフォロワー7万人を超えました。
(中略)
僕たちの目的というのは、聖書や教会に興味を持ってもらうことなんです。これは言わばチラシですよね。でも、駅前でチラシだけ配ってるとして、受け取ります?難しいですよね。みんなティッシュが欲しくて受け取ると思うんです。そのティッシュが僕たちのツイートでいう笑いであったり、共感だったりなんですね
(中略)
聖書には『ユダヤ人にはユダヤ人のように』という一節があります。相手に対しては相手のやり方で、という意味です。僕たちの真意を神様がわかっていたら、許してくれるんじゃないかと僕たちは思っているわけです。

こういうやり方は好感が持てます。宗教家は、自分たちの信仰が素晴らしいと思っていることの裏返しで、ともすると独善的になります。しかし彼らはそういうことがなく、興味を持ってもらうだけで十分というスタンスで発信している点がいいです。それでも完全に自分勝手にやっているというのでもなく、ちゃんと聖書的根拠を持って(つまり信仰は失わずに)やっているという点が素晴らしいです。

2人のツイートについて、同教会の渡辺俊彦牧師は「僕は今でも彼らが何をやっているかわかっていないんです。よく続いているなぁと」。

 「教会が人々をとらえる言葉からだんだん遠ざかっていたところを、彼らは伝えているんだと思う。こういうのは賛否両論あるものだし、ずれてはいけないところを彼らはわかっていると思うので、任せています」と話します。

こういう牧師さんの下だからできるのでしょう。本来、宗教家はこのように懐が広いものです。オウム事件以降、日本では宗教のイメージが悪くなりましたが、こういう教会にはぜひ頑張ってほしいです。

ちなみに、ぼく個人は次のツイートが気に入りました。

シンボルが処刑道具

ご存じかと思いますが、イエス・キリストは十字架に磔にされて殺されました。キリスト教会では、この十字架がシンボルになっているので、「シンボルが処刑道具」という自虐的に言っているわけです。これを牧師さんが許容しているのだから、すごいと思いました。

ぼくがアメリカに行ったときに入ってみた教会では、十字架だけではなくて、磔されたイエス・キリストの像までありました。正直「グロテスクだなあ」と感じました。だって、もしイエス・キリストが絞首刑にされていたとしたら、首吊り姿のイエス像が教会のシンボルになっているということです。正直、ぞっとします。

普通のクリスチャンは、そういう想像はあまりしないでしょう。でも、一般庶民の僕は十字架を見て「殺しの道具を拝んでいる」とぞっとするわけです。そういう一般庶民の心まで下りてきてこのように書くのは、信仰を持っているとなかなか難しいと思います。それを「不信仰者!」と牧師さんが断罪しない点もすてきです。

そういう意味でも響くツイートです。ナイスです。


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