佐村河内さんと小保方さんにみる「人間の真価が決まるとき」


現代のベートーベン騒動STAP細胞論文騒動には幻滅しました。佐村河内さんの謝罪会見には憤りを増幅させられましたし、会見をしない小保方さんにも失望中です。人間の真価は「謝るとき」に決まると思います。人間は完全ではありません。過ちは犯すものです。もちろん、彼らの間違った行為そのものも問題視されるべきですが、それ以上に「過ちを認め、どのように謝罪したのか」ということが問われるべきだと考えます。

原因究明よりも、問題解決を優先してください

会議
ぼくは以前、社長を務めていた会社で、しばしば「問題が起きるのが問題ではなく、それをどう解決したのかということこそ問題だ」と指導してきました。冒頭で書いたように、人間というものは完全ではありませんから、問題を起こすことはあります。だから、起こってしまった問題の原因究明についてギャーギャー言い合うよりも、「その問題をどのように解決するのか」ということについて考えろ、ということです。

むろん、「どうしてこんな問題が生じたのか?」という原因究明も重要です。原因を封じ込めることができれば、そこから生じる問題も封じ込めることができるかもしれません。そのためにも、原因を知ることは大切です。

しかし、世の中は単純系ではなく複雑系です。原因が単一ということは少なく、常に複合的に絡み合っています。仮に1つの原因を排除できたとしても、その「原因を排除した」という行為によって「新たな原因」が創成されてしまうかもしれなのです。これが複雑系の複雑たる所以です。

だから、原因を究明しつつも、まずは「起きてしまった問題」の解決を熱心にするべきだと思うのです。対処療法的なようにも感じられますが、一個人にとっても、社会全体にとっても、その方が有益です。原因究明をするうちに、神学論争のように出口のない状態になるよりも、「今そこにある危機」を解決した方が良いと思うのです。

ゴミ箱をひっくり返すよりも、焼却処分にしよう

ゴミ箱
「そんなことを言ったって、原因が封じ込められていないのなら、また同じ問題が起きるのではないか」という反論があるでしょう。ぼくも、かつて社員からそのように言われたこともあります。そのことは否定しません。正しいと思います。でも、原因排除も慎重にやりませんと、複雑系なので新たな原因を作ってしまう危険性があるということです。

たとえるならば、部屋が散らかっている原因を究明するために、「最初にこの部屋を散らかした原因物は何か」と特定しようとするようなものです。これを行うには、部屋中のゴミ箱をひっくり返して調べなければなりません。その結果、最初のゴミを発見できたとしても、部屋はさらに散らかってしまうことになります。それよりも、とにかく散らかった部屋を片付けて、ゴミ箱の中など見ないで焼却処分にしてしまう方が、部屋を使う身としては有益だということです。

人間は完全ではなく、過ちを犯します。ですから本人が過ちについてクヨクヨと考えたり、他人が過ちの原因を追究・糾弾することは、上記のゴミ箱をひっくり返すことに該当します。むろん、そうやって原因を解明することも有益なのですが、その結果、さらに問題が広がってしまうこともあるわけです。

佐村河内さんの謝罪会見は、その典型でしょう。佐村河内さんと新垣さんは、社会に対して共に悪いことをしたのです。いわば共犯者です。そういう間柄なのに、「新垣さんが悪い、名誉毀損で訴える」なんて、呆れてしまいます。たとえは悪いですが、窃盗団の中で「おまえ、おれの取り分を横取りしたな、訴える」と言っているようなものです。

裁判だって税金が使われるのです。一納税者としては、納税者に迷惑をかけた者同士の下らない仲間割れに血税を使ってほしくないです。それよりも、真摯に謝ることです。仮に、佐村河内さんの言うように、新垣さんにも非があったとしても、佐村河内さんが何も語らずに「すみませんでした」と謝れば良かったのです。さらに醜い泥仕合を公衆に見せつける必要性、必然性、有益性は皆無です。自分に言い分があっても飲み込んで謝るときに、その人の真価が発揮されると思うのです。

小保方さんには、そのようにして真価を発揮してほしいものです。公の前で自説のPRをしたわけですから、その自説の一角が揺らいできた今は、同じように公の前で説明するべきでしょう。それが公の前で発言した者の責任です。そして、もし過ちがあったのだとしたら、現代のベートーベン・モドキのように醜態をさらさず、ただただ真摯に謝罪するべきです。科学の世界にも過ちは付き物なのですから、今回のことで科学者人生が終わるわけではありません。頑張ってください。応援します。


“佐村河内さんと小保方さんにみる「人間の真価が決まるとき」” への2件の返信

  1. 複雑系は難しいですね。ただ、「原因究明より問題解決を優先する」のは、同感です。目の前の問題をクリアしないと、何事もよくならないと思うので。あと、「どこまでやったら問題解決になるのか」という問題解決の目標設定も必要ですね。いつまでも一つのことに時間を割いていられないでしょうからね。
    いずれにせよ、自分に起こった問題に誠実に向き合ったほうが問題解決まで達成するのが早そうです。自己反省しなきゃな(汗)

    • Qubokkumaさん。いらっしゃいませ。コメント、ありがとうございます。もちろん、原因究明も大切ですけれどもね。問題解決をおろそかにした原因究明は、好ましくありません。

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