せめて不倫がペナルティーを科せられる法律違反であることは理解しておきましょう


頭を抱える
ベッキー騒動が止まりません。ベッキーはCMやテレビ番組の出演が全部打ち切られ、休業するようです。不倫相手のミュージシャン・川谷もガンガンたたかれています。不倫の代償は大きいです。(いずれも敬称略)

最初は彼らを擁護していた人たちも、週刊誌が第2弾、第3弾と記事をアップすると、擁護から批判に転じました。あのようなLINE内容を暴露されてしまっては、致し方ないことです。ベッキーと川谷の会話に、罪悪感というものを全く感じられないことが、事態をこれだけ大ごとにしてしまった要因です。「私たちは悪いことをしている」という気持ちが全くない(と傍から見て感じられる)ことが大問題なのです。

不倫は厳然たる不法行為です。つまり法律違反です。犯罪とはいえませんが、極めてそれに近い行為だということを理解しておく必要があります。法治国家日本で生活している限り、不倫は「悪いこと」なのです。

結婚した夫婦には、貞操を守る義務が生じます。法的には、貞操義務、守操義務、誠実義務などと呼ばれています。既婚者が他の相手と不倫をすることは、その義務を守らないわけですから、川谷の行為は民法709条で定めた不法行為に当たるのです。

相手がいなければ不倫は成立しません。よって、今回の場合であればベッキーのほうも(彼女が結婚していなくても)不法行為に問われます。この場合、法的には共同不法行為と呼ばれます。ですから、もし川谷の妻が裁判に訴えれば、川谷だけではなくベッキーのほうにも慰謝料の請求がなされるわけです。社会からはたたかれ、仕事はなくなり、慰謝料は請求される・・・まさに踏んだり蹴ったりです。

これは芸能人や有名人だからというわけではありません。一般人だって、不倫をしたら同じ結果が待っています。マスコミを総動員して社会からたたかれることはないにしろ、会社内・近所・親戚・知人・友人といったコミュニティーから白い目で見られます。勤め先も辞めざるを得なくなるかもしれません。その上、慰謝料請求です。離婚して、子どもでもいれば養育費の支払いなどもずっと続きます。

不倫をしたいと思っている方、あるいは不倫が現在進行中の方は、ぜひこの点をしっかり理解した上で、ご自分の言動に責任を持ってくださいませ。かなりハイリスクですよ。

好きになることは仕方のないことだが、実際に行動を起こすことは別問題です

リアルタイムでワイドショーを見る時間もないのですが、ネットを検索していたらこんな記事を見つけました。とあるワイドショーでの出演者のコメントです。大変興味深かったので、紹介します。

ベッキーと川谷の不倫騒動に芸能人がモノ申す

ダウンタウンの松本さんは「私は奥さんのいる人を好きになってしまいました。ごめんなさい。でももう諦めます」と会見で言っていたなら、一番気持ち良かったかな?
(中略)
フリーアナウンサーの赤江珠緒さんは「人を好きになってしまう事は、まあ人間恋に落ちるというのは、しようがない部分もあるのでそれは否定はしないです。褒められることでは無いですが、そういう事もあるでしょう。
(中略)
ピーコさんは(中略)好きになった男の人にたまたま奥さんがいただけで、じゃなかったら一緒に写真撮ったのをバカバカ出さないでしょう。いくらなんでも30の女がそんなことしたら、馬鹿にみえるじゃない」

皆さん、ベッキー・川谷を擁護しているわけではありません。しかし、とても面白いと思ったことは、それぞれのコメントに共通して、「好きになることは仕方のないこと」という趣旨があるということです。まあ、それはそのとおりだなと思います。しかし、一線を越え、不倫という不法行為に走ったから、良くなかったわけです。

このコメントを読んで、2つのことが頭を駆け巡りました。1つは、ドラマ『相棒 season6』での杉下右京(水谷豊)のセリフです。

汚職警官が、同じ警官の杉下右京に向かって、「おまえたちも同じことをするかもしれない。紙一重なんだよ」と抗弁したことについて、杉下がこう答えるセリフです。

確かに紙一重かもしれません。しかし、その紙一枚を踏み越える人間と、越えない人間は、まったく違うんですよ!

名言だと思います。妻がいても他の女性を好きになることは仕方のないこと、妻がいる男性を好きになること仕方のないこと・・・それはそうなのかもしれません。しかし、それを心にとどめておくのか、それともそれを踏み越えていってしまうのかで、人格も人生も大きく変わっていくのだと思います。

頭を駆け巡ったもう一つのことは、聖書の話です。旧約聖書には、モーセが神から賜ったという10の戒め、すなわち十戒が記されています。その中の7番目の戒めに、次のようなものがあります。

旧約聖書『出エジプト記』20章14節

姦淫してはならない。

これは、上述した杉下右京の言い方にならえば「紙一枚を踏み越えるな」ということでしょう。「姦淫(不倫)したい気持ちになることは仕方ないにしても、行動には起こすなよ」とモーセ(に現れた神)は言いたかったと解釈できます。

ところが、そのモーセから約2000年後に現れたイエス・キリストは、その十戒を引用しながら、違った視点に立って戒めを説いて回りました。そのことが、新約聖書に記されています。

新約聖書『マタイによる福音書』5章27~28節

あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

モーセは心の中までは言及しませんでした。ところがイエスは、不倫したいと思っただけでアウトなのだというわけです。なんとも厳格なことですね。イエスは、今から2000年も前の人です。そんな大昔の人が、このような高度な倫理観を説いていることにも驚きます。

ちなみに、イエスはその後、世を惑わす罪で、時の政権によって死刑にされてしまいます。こんな厳格なことを説いて回っていたのだから、確かに政権も困ったんだろうなあと思います。要は、当時の指導者たちも心の中では姦淫をしていると言っているに等しいからです。

キリストさまのような聖人君子であれば、そのように自分の心まで治めることができるかもしれませんが、われわれのような俗世間の男ども女どもには、なかなか厳しいものがあります。しかし、せめて4000年前のモーセ時代の倫理基準くらいは守りたいものです。物質的には豊かになったとしても、心の世界が4000年前の基準以下というのでは、人類が進歩したとは決していえないでしょう。

まずは、法治国家日本で暮らしている者としては、法律をしっかり守りましょう。不倫は不法行為なのですから、やめましょう。不法行為を行えば、必ずペナルティーが科せられます。特に、社会的な影響力がある人は、率先してイエス基準の倫理観を身に付けていただくように期待したいです。


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