本末転倒なベビーシッターの許認可制


埼玉県での男児死亡事件を受けて、田村憲久厚生労働相はベビーシッターを紹介するインターネット仲介業者の実態調査と注意喚起の方針を示しました。これからベビーシッターも許認可制になっていくのでしょうか? ぼくは、安易に許認可制を唱えることには反対です。確かに子供の命を守るためには必要なことなのかもしれませんが、何でもかんでも許認可制にすれば解決するということでもありますまい。国が許可していても、問題が起きるときは起きます。

それで問題が解決されますか?

母と子2人
核家族化が進む一方、夫婦共働きが当たり前の時代ですから、保育園やベビーシッターはなくてはならないものです。両親と同居しているか、近所で暮らしている場合であれば、そちらに預けることを選択するでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんに預かってもらった方が安心です。

「だからこそ三世代家族の復権を!」という声も聞こえますが、それは理想論にすぎません。日本の労働環境や住宅事情からして、三世代が共に暮らすことができるのはレアケースだと思います。だからこそ、他人にお金を払ってまでして子供を預ける、ベビーシッターの需要があるのでしょう。

ぼくは、許認可制にして規制を厳しくすることや、「三世代同居だ!」と古き良き時代の理想論を掲げることは嫌いです。むろん、絶対に反対というわけではありません。問題が解決されるのであれば、試みたらよろしいと思います。でも、それでは問題が解決するとは思わないのです。

大切なのは制度ではなく人間性

母子の手
なぜなら、問題の本質は制度や家族形態ではなく、「個々人の人間性」だからです。ベビーシッターをしている人の人間性が未熟であれば、今回のような事件は起こります。そういう意味では、祖父母に預ければ安心であるとも限りません。おじいさんおばあさんの全てが、素晴らしい人間性を身に付けているとは限らないからです。

つまり、「子供を預かる人の人間性をいかにして高めるか」ということになります。これは、制度や家族形態といった外的なものだけでは、どうにもこうにも限界があります。ベビーシッター養成学校のようなものを作っても、やはり限界があるでしょう。

そのような外的な手段よりも、もっと本質的な世界に属する問題だと思っています。それは、社会の風土・道徳性・倫理観・宗教性といった世界です。こういうものは法律以前に、育っていく中で知らず知らずのうちに培われていくものです。

今、そういったものが危機的な状況に陥っているのだと思います。だから、安易に人を傷つけることが横行するのです。

もし「ベビーシッターを許認可制にする」というのであれば、それ以前に「結婚」を資格制・免許制にしたらいいとすら思います。今の世の中で、子供を生み育てていくことは、ものすごくたいへんな事業です。成人になれば誰でも結婚できるというのではなく、夫婦として、親として、一定のスキルを身に付けたものしか免許証を発行しない。その免許証がなければ結婚できない。そういう許認可制だって「あり」でしょう。

そう思うくらい、未熟な人間性の男女が夫婦になっているケースも目に付きます。離婚や卒婚が、子供の心をどれくらい傷つけるか分かっているのでしょうか? 「別れるならば、初めから結婚するな、子供を生むな、結婚や出産にも資格試験を! 許認可制を!」という考えも成り立ちます。

あ、勘違いしないでください。ぼくは、結婚の資格制・許認可制を本気で唱えているわけではありません。ベビーシッターの許認可制というものは、それと同じくらいに本末転倒であると言いたいわけです。制度を云々する以前に、国民の人間性をいかにして高めていくかということに、為政者は頭を使ってほしいです。


“本末転倒なベビーシッターの許認可制” への10件の返信

  1. 痛ましい事件でしたが、私も究極は人間性の問題であると感じます。
    その原点は、生命が産まれる神秘性を感じる純心さを育む家庭にあると思っています。
    家族の支柱になる夫婦と親子の絆を繋ぐ結婚は、本質的に「神聖」なものだと認識しています。
    本当!、最近男女関係の風潮を見ると、結婚を免許制にしたい気持ちにもなりますね。
    確かに為政者は本末転倒な政策が多いので、内的な本質をもっと考えて欲しいと同感の思いです。

      • もち、そうでしょう。
        真面目に言っても、ブラックジョークにしかならない非現実的な話ですからね。
        でも、社会的な男女関係と結婚の課題は、正直に何とかならないものか・・・・・というジレンマは残ります。

        • ご理解してくださっていて安心です。マジで「結婚免許制を実現せよ!」とデモ行進されたらどうしようと心配でした。

          • まぁ、好奇心が高じて無鉄砲な行動をする場合もありますが・・・・・。
            でも、そんなに阿呆じゃないですョ。

  2.  政府として日本国民の人間性を高めるというのは、政府が行なう教育政策の限界、個人の価値観や人生観の違いも相まって難しい問題ですね。下手をすれば「思想統制だ」と言われかねない面もあるでしょう。
     しかし、難しいものほど社会における重要度が高い課題が多いと思います。今回のベビーシッターの事件は、現在の教育内容や態様に欠陥がある事の証左でしょうから国の政府として教育制度や社会保障制度に手をつけないわけにはいかないですが、拝志郎さんのコメントにあるように今回の政府の対応はお粗末。
     政治家も一人間で知らない事が多いでしょうから、本質的な人間性の成長を促す政策を議論できるように国民から発信して知識や情報を伝えていく必要があると思いますね。といっても、僕はそういう知識や情報を持ち合わせていないですが(汗)

    • 為政者は、政策で人間性を高めようとするよりも、まずは己が手本となる生き方をしたらいいのだと思います。国民に注目されているわけですからね。

  3. 自分で人間性を高める効果的な努力も大切ですね。利己的な価値観よりも、自分も家族もご近所さんも大切にできるそういう価値観の方がいいなと思います。

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