理念が素晴らしくても、理念の実現に向けた方法論を誤ればNGです


青空と雲
2020年東京オリンピックの会場となる新国立競技場が、膨大な建設費となってしまって批判が高まっていることを受けて、安倍首相が計画見直しを発表しました。

新国立競技場 首相「現実的にベストな計画作る」

安倍晋三首相は17日午後、2020年東京五輪・パラリンピックのメーンスタジアムとなる新国立競技場の建設計画見直しに関し「できるだけコストを抑制し、現実的にベストな計画を作る」と述べた。また計画見直しの理由について「コストが当初の計画よりも大幅に膨らみ、国民から大きな批判があった」と語った。

ぼくとしては、オリンピック開催そのものを懸念しているわけですが、国の威信もあるでしょうから、今さら開催辞退ということもできますまい。現実的な落としどころとしては、なるべくお金を掛けないでやるということには賛同します。

しかし、今までは「計画どおりにやる」という強行姿勢だったのに、態度が一変しました。国民の批判というものもあるのでしょうが、こんな見方もされています。

下心見え見え…「新国立」見直しは安保強行採決の目くらまし

政府はこれまで当初計画を堅持する姿勢を取ってきた。それが安保強行採決の日に譲歩を言いだしたことに、国民の怒りをそらそうという下心が見え見えだ。

単なる邪推とも言えないと思います。同じように国民からの批判が大きかった強行採決の話題が、新国立競技場の話題で陰に隠れた感じが否めないです。安保法案よりもオリンピックの話題のほうが国民には分かりやすいですから、そっちに意識を向けさせようという魂胆があったと見ても、あながち間違いとも言えません。

また、安保法案は批判を受けるしかなく、その批判をかわすすべは基本的にはありません。法案を廃案すれば批判はかわせますが、そんなことはできないでしょう。しかし、新国立競技場のほうは、「コストを抑える」という対策で批判をかわすことができます。現状よりも改善したイメージも残ります。そういう雰囲気づくりは、当然したたかな政治家さんたちは、よーく考えていることでしょう。

ぼくら国民は、そういうずるがしこい政治家さんに騙されないように、雰囲気にとらわれず、難しい話は偉い人に任せるなどと言わずに、自分自身の五感を使ってしっかりチェックしていくことが大切だと思います。

ちなみに、ぼくは今回の安保法案には賛成です。もちろん戦争をしたいと思っているわけではありません。自衛隊員を危険な場所に送りたいわけでもありません。しかし、現時点の世界情勢を考えたら、集団的自衛権を行使できるようにしておくべきだと思います。

ただし、安倍政権の国会運営には反対です。結局は、60日ルールを前提とした会期延長、強行採決です。いわゆる出来レースです。衆議院で多数議席を持っているのだから、結局はこの法案は通ってしまうというおごりで、出来レースを組んでいるようにしか思えません。「丁寧な議論」と言いながらも、国民には全くその議論が伝わってきません。特に「強行」という方法論は絶対にNGです。

いくら理念が素晴らしくても、それを実現しようとする方法論を誤ると、その理念自体の素晴らしさも認識されなくなります。必要な法案であるだけに、国会運営や国民への説明という方法論を、しっかりとやってほしいものです。


“理念が素晴らしくても、理念の実現に向けた方法論を誤ればNGです” への5件の返信

  1. 今の国際状況下では単独で自国を守れない事態ですから、見方によっては止むを得ない処置かもしれません。
    性善説的な平和論は本来あるべき姿でしょうが、平和維持の為に抑止力となる備えは必要だと考えます。
    しかし、性急な故にゴリ押しの強行突破というシコリは姑息な手段でなく、課題に向き合う中で埋めるべきでしょうね。
    これからも広く国民に納得のいく啓蒙活動が不可欠だと思います。

  2. 私は今回の「強行」と言われる採決は良かったと思います。「強行」が良かったのではなくて、結果「強行」になってしまっただけの事です。もともとこの法案は、近年の中国の軍備拡張路線に対しての「安保」です。

    反対する意見の中に、その中国の動きをどうするかの「対案」がありません。だとすれば、「法案」そのものに反対なわけで、そこが「話し合い」になるのか・・・・・、継続審議すれば納得できたのか。疑問です。

    多様な意見があるわけで、「中国を中心とした国作りを」という考えもあって当然だとは思います。辻本議員の最後の感涙をよぶ叫びは・・・・中国軍が領海を侵犯し尖閣に上陸しようとしたときに、現場で同じように「懇願」するのかなあ・・・・。

    • 継続審議をしても、納得しない人は納得しないでしょう。政府もそう思うから、60日ルールが適用できるように布石を敷いているわけです。つまり、政府も野党も最初から話し合う気がない。こういう国会に果たして意味があるのかということです。

      今回のようなことを容認してしまうと、国会で過半数の議席を得れば自分たちの理念を実現できるという政治家ばかりになります。むろん、それが議会制民主主義だというのは正しいですが、選挙時には政策をあいまいにして、当選してからこういうようにゴリ押しすればいいということにもなります。

      例えば今回の安倍政権であれば、アベノミクスという餌(要はカネ)をぶら下げて選挙で勝ち、まだ多くの国民がその経済的恩恵を受けていないのにもかかわらず、反対の多い憲法解釈に踏み切り、法案を出すということです。選挙時からこういう法案を出すと言っていないくせにです。

      憲法を改正して集団的自衛権を行使できるようにしたいとは、以前から言っていました。だから、憲法改正に着手したら良かったのです。それでは難しいと考えたらから、こういう無理な憲法解釈法案をひねり出したわけです。一言で言えば、姑息です。

      ルールにのっとればいいというものでもないと思います。国会議員たちに必要なことは、ルールの中で姑息に法案を通すことではなく、お互いに真摯に話し合うこと、その真摯な話し合いを国民に知らしめることだと思います。今のような国会運営をしていると、日本は滅びの一途に突き進むと危惧します。

  3. 今、まさに法案が可決されようとしています。確かに管理主様の
    おっしゃる通りで、「選挙前に公約すべきだ」ですね。でも、
    そのような公約では、選挙に勝てません。実際に、この法案が
    成立しても、やがて内閣の支持率は持ち直すと言われて
    います。「総論賛成、各論反対」というやつですかね。
    選挙に勝てない・・・と胆略的に言いましたが、勝努力を
    すれば、わからないですよね。そのような日本になる
    事を願うしかありませんね。

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